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人間の器量

新潮新書 340

出版社名 新潮社
出版年月 2009年12月
ISBNコード 978-4-10-610340-7
4-10-610340-0
税込価格 748円
頁数・縦 191P 18cm

商品内容

要旨

優れた人はいる。感じのいい人もいる。しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。なぜ日本人はかくも小粒になったのか―。その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。

目次

序章 器量を問う事(人物観の平板さは、自らを縛りかねない
人を見る事は、自分の器を測る事
器は何歳になっても大きくできる)
第1章 なぜ日本人はかくも小粒になったのか(戦後、わが国は人物を育てようとしてきたか
戦死にたいする覚悟がいらなくなった
貧困と病苦にたいする怯えがなくなった)
第2章 先達の器量に学ぶ(西郷隆盛の無私
横井小楠の豹変
伊藤博文の周到
原敬の反骨
松永安左衛門の強欲
山本周五郎の背水
田中角栄の人知)
第3章 器量を大きくする五つの道(修行をする
山っ気をもつ
何ももたない
身を捧げる)
終章 今の時代、なぜ器量が必要なのか
器量人十傑(明治、大正・昭和戦前、戦後から今日まで)

おすすめコメント

なぜ日本人はかくも小粒になったのか。無私、反骨、強欲、豹変、挺身……先達の器量に学ぶ人間論。優れた人はいる。感じのいい人もいる。しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。なぜ日本人はかくも小粒になったのか――。その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。

著者紹介

福田 和也 (フクダ カズヤ)  
1960(昭和35)年東京生まれ。文芸評論家。慶應義塾大学環境情報学部教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。1993年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、2002年『地ひらく』で山本七平賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)