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神代及び神武天皇より持統天皇(六九七譲位)までの編年史。三十巻。舎人親王等撰。もとは日本紀とよばれたが、平安時代初期より日本書紀とよばれ、両様の名がある。編纂過程については説が分かれるが、帝紀・旧辞・政府の記録・諸氏の家記・寺院の縁起・地誌・材料と外国史料などをし、元正天皇養老四年(七二〇)完成した。古い時代の部分は神話・伝説によって国家の生成と発展とを記しているが、もちろんそのまま歴史事実と考えることはできないであろう。編者の潤色・造作、また紀年の延長もあり、厳密な史料批判を要するが、古代人の精神生活と政治情勢をうかがうことができる日本最古の古典として尊重される。
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神代及び神武天皇より持統天皇(六九七譲位)までの編年史。三十巻。舎人親王等撰。もとは日本紀とよばれたが、平安時代初期より日本書紀とよばれ、両様の名がある。編纂過程については説が分かれるが、帝紀・旧辞・政府の記録・諸氏の家記・寺院の縁起・地誌・材料と外国史料などをし、元正天皇養老四年(七二〇)完成した。古い時代の部分は神話・伝説によって国家の生成と発展とを記しているが、もちろんそのまま歴史事実と考えることはできないであろう。編者の潤色・造作、また紀年の延長もあり、厳密な史料批判を要するが、古代人の精神生活と政治情勢をうかがうことができる日本最古の古典として尊重される。
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日本書紀に続き、文武天皇元年(六九七)より桓武天皇十年(七九一)までの編年史。四十巻。前半は菅原道真等、後半は藤原継縄等撰。奈良時代の根本史料として、政治情勢の変転を知るための重要な史料である。複雑な長い編纂過程を経て完成したもので、しばしば編纂者がかわり、また旧稿を刪定したため、簡略に失して意をつくさない記事や重複・錯簡と思われるところがあるのは残念である。しかし概して原史料に忠実であったようであり、宣命体の詔勅を漢訳せずに、そのままのせている点などは潤色の多い日本書紀と大いに異る点であり、信頼をおくことができよう。
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日本後紀…続日本紀に続き、桓武天皇延暦十一年(七九二)より淳和天皇天長十年(八。三三)までの編年史承和七年(八四〇)完成。藤原緒嗣等撰。巻数はもともと四十巻であったが、淳和天皇一代が欠け、また他にもところどころ欠があり、今では十巻しか残っていない。その逸文を集めたものに後述の日本逸話があるが、このように欠巻が多いということは、残念なことであり、平安時代初期の研究に大きな障害となっている。しかし続日本紀に比して記事は一段と詳細であり、信頼すべき史料にもとづいて編纂されたものであるだけに、その価値は高い。また政治に忌憚ない評論を加え、人の伝記に長所と短所をあげて批評するなど見のがせない点である。続日本後紀…日本後紀に続き、天長十年(八三三)より嘉祥三年(八五〇)までの仁明天皇一代の編年史。二十巻。藤原良房等撰。貞観十一年(八六九)完成。天皇一代を対象としたのは、形式上の大きな変化であり、中国の皇帝一代の実録から影響をうけたとみて誤りないであろう。この態度は後に日本文徳天皇実録・日本三代実録等と書名に実録を加える先駆となったと思われる。巻首に天皇の漢風諡号をあげているのも新例であり、礼文主義にもとづく儀式関係記事が特色とされる。現在伝わる続日本後紀は錯簡・脱漏・省略が甚しく、完本ということはできないが、日本後紀の欠巻の多いのに比べれば、まだしも幸といわなければならない。日本文徳天皇実録…続日本後紀に続き、嘉祥三年(八五〇)より天安二年(八五八)までの文徳天皇一代の編年史。略して文徳実録という。十巻。藤原基経等撰。元慶三年(八七九)完成。日本の文字を冠するのは日本書紀以下の例にならったのであろうが、天皇の漢風諡号をつけて書名を実録としたのは新しい例である。文徳実録はその特色として、政治法制の記事が簡略であるのに対し、五位以上の人の薨卒の条にはくわしい伝記を記し、その人物評は興味深いものがある。また民間の伝承を多くとり入れている点なども注目すべきことであり、これらは編者の文人的趣好にもとづくものであろう。
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文徳実録に続き、天安二年(八五八)より仁和三年(八八七)までの清和・陽成・光考三代の編年史。略して三代実録という。五十巻。藤原時平等撰。延喜元年(九〇一)完成。以上六種の勅撰の史書を六国史という。三代実録は六国史中最も体裁の整ったもので、干支の上に日付を加える新しい編纂様式をとり、恒例の年中行事、任官叙位、人物の伝記等、記事は詳細をきわめ、事務的な客観性をもっている。しかしこのような長所をもつ反面、無味乾燥な編年記事の羅列となり、歴史書としての興味は薄いものとなってしまった。この点は六国史全体にほぼ共通する性格であり、六国史最後の三代実録に最も顕著にあらわれているといえる。
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日本書紀より日本文徳天皇実録までの編年体記事を事項別に分類し、神祇・帝王・後宮・人・歳時・音楽・奉献・政理などに再編成したもの。菅原道真撰。本文二百巻、目録二巻、帝王系図三巻。現在は六十一巻と醍醐三宝院所蔵祈雨日記所引の巻第百七十の一巻の計六十二巻とである。寛平四年(八九二)の成立。日本三代実録の記事は後人が分類して補っている。貴族政治・有職故実などの実用的要求から、中国の類書に倣って作られたものである。六国史の全記事が必ずどこかに引かれているため、現在散逸してしまった日本後紀の部分をこの書物によって復原することもできるという貴重な存在になっている。巻末に編年索引を付す。
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日本書紀より日本文徳天皇実録までの編年体記事を事項別に分類し、神祇・帝王・後宮・人・歳時・音楽・奉献・政理などに再編成したもの。菅原道真撰。本文二百巻、目録二巻、帝王系図三巻。現在は六十一巻と醍醐三宝院所蔵祈雨日記所引の巻第百七十の一巻の計六十二巻とである。寛平四年(八九二)の成立。日本三代実録の記事は後人が分類して補っている。貴族政治・有職故実などの実用的要求から、中国の類書に倣って作られたものである。六国史の全記事が必ずどこかに引かれているため、現在散逸してしまった日本後紀の部分をこの書物によって復原することもできるという貴重な存在になっている。巻末に編年索引を付す。
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古事記…神代及び神武天皇より推古天皇(六二六崩)までの歴史。三巻。元明天皇が太安麻呂に命じて稗田阿礼が語る物語を筆録させたものという。元明天皇和銅五年(七一二)の成立。歴史的な系譜記事と文芸的な物語歌謡とからなっていて、外国文字の漢字を借りて国語を表した表現法でも当時の独創的な書物である。序文(上表文)の解釈・内部の本文批判・日本書紀との関係など問題となる点が多い。底本には最古の写本真福寺本を用いている。古事記研究には切っても切りはなせない本居宣長の古事記伝と対照閲覧できるように工夫し、また、傍注・傍訓もできるだけ収めている。先代旧事本紀…聖徳太子撰と記録にのこる天皇記及国記・臣連伴造国造百八十部并公民等本記に擬して、古事記・日本書紀・古語拾遺などの文を点綴した偽書。十巻。平安前期の成立。神代・陰陽・神祇・天神・地祇・天孫・皇孫・天皇・神皇・帝皇・国造の十一本紀よりなり、なかでも国造・天孫の本紀には他にみられない古伝が含まれている。古来、わが国の史書の第一に論じられていたが、江戸時代に考証学が進歩した結果、多田義俊・伊勢貞丈らによって序文の不合理性から、漸く偽書として扱われだした。底本には神宮文庫本を用いている。旧事本紀ともいう。神道五部書…伊勢の内宮・外宮の祭神の歴史的説明を加える天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記・伊勢二所皇御大神御鎮座伝記、淵源を説く外宮の豊受皇太神御鎮座本紀、外宮神官度会氏の神道思想を主にした造伊勢二所太神宮宝基本記・倭姫命世記、以上五部の書の総称。平安時代末から鎌倉時代にかけて成立したもの。内宮に対して外宮の神官らが自らの優位を誇示論証しようという目的と、従来祭祀のみで教典をもたなかった神道が、仏教にならって教養を確立しようという意気込みとから述作されたといわれる。神道研究に必携の書である。それぞれ御鎮座次第記・御鎮座伝記・御鎮座本紀・宝基本紀・倭姫命世記と略称される。
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日本書紀私記…日本書紀購読の際の博士の講義や聴講者との質疑応答をメモしたもの。講書は養老五年(七二一)・弘仁三年(八一二)・承和十年(八四三)・元慶二年(八七八)・延喜四年(九〇四)・承平六年(九三六)・康保二年(九六五)の七回ほど行われた。これらの講書は、日本書紀完成の翌養老五年を除くと、みな約三十年間隔で行われており、そこに師の説を後代にまで伝えようとした目的を窺い知ることができる。各種の私記が存在したらしいが、現存するものは僅かである。国史大系には、彰考館本三種(甲・乙・丙)を写真凸版に、六人部氏本一種(丁)を活版にした。甲本は弘仁三年の、丁本は承平一〇年の私記である。活用の方面は日本書紀の訓詁・校勘のみにとどまらない。釈日本紀…鎌倉後期、卜部兼文が関白一条実経らに日本書紀を講義したときの筆記と、平安時代の博士の私記とを集めたもの。兼文の子兼方の編。二十八巻。日本書紀の古訓をはじめ、上宮記・古風土記などの逸文がみられる点で数々の話題を提供する貴重な史料である。開題・注音・乱脱・帝皇系図・述義・秘訓・和歌の七部門に分類してあって、中世の文献研究の概要を知ることができるが、この鎌倉時代の購読の対象が神代の巻に集中していることも中世神道を背景にした特色としてあわせ考えるべきであろう。底本には、兼方草稿本を忠実に書写したと思われる前田家本を用いている。日本逸史…日本後紀四十巻が散逸したのを惜しんで、類聚国史を主に、日本紀略・類聚三代格・令集解・政事要略・公卿補任などから日本後紀を後世復原した編年体の歴史。鴨祐之編。四十巻。元禄五年(一六九二)の成立、享保九年(一七二四)刊行。日本後紀は、この後、塙保己一が寛政十一年(一七九九)八巻、享和元年(一八〇一)二巻を刻版したが、全体の僅か四分の一にすぎず、今なお完本が入手できないため、日本逸史は八世紀末より九世紀前半の史実を知るのに貴重な編年史料である。なかには日本後きとして疑わしい部分もある。上賀茂神社所蔵の清書原稿を底本とした。
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宇多天皇より近衛天皇までの約二百二十年間の編年史。藤原通憲撰。一部散逸しているため全体の巻数は不明。現存部分は朱雀天皇より近衛天皇までで、醍醐天皇の部分は御産部類記・年中行事秘抄にみられるが、宇多天皇の部分は不明である。全体も未定稿に終わったらしい。六国史を継ぐ意図があったらしく、官府の記録である外記日記や六国史のすぐ後を追って未完成に終わった新国史を骨子に貴族の日記を用いている。十世紀から十二世紀半ばに至る平安後期のまとまった史料として貴重な存在であることは、単に国史研究者のみならず、国文学者にとっても同様であろう。
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神代及び神武天皇より後一条天皇長元九年(一〇三六)までの編年体の歴史。撰者はわからないが平安後期の公家であろう。前篇二十、後篇十四の二部からなる。前篇は宇多天皇までで、宇多天皇の部分を除いては六国史の抄説であるが日本後紀の散逸部分はこれで補訂することができる。後篇は醍醐天皇以降の部分で、新国史をはじめとする公の歴史や私の記録も参照して朝廷・京都を中心に貴族の動静を記事としている。後篇の部分は、貴族が最も栄え平安文学に題材を提供し舞台を貸した時代でもあるので、国史のみならず国文の研究にも好資料を多く含んでいる。
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後深草天皇正元元年(一二五九)までの朝廷中心の編年体の歴史。撰者はわからないが公家であろう。鎌倉後期の成立。十七巻。現在は巻四の冷泉天皇安和二年(九六九)以降しか伝わらない。公家の日記を編纂の材料に使っている点。貴重な資料といえる。天皇を中心に公家の動静・任免死歿の記事が多いが、鎌倉時代の京都の様子を知ることもできるし、在京武士の動静も窺える。嘉元二年(一三〇四)の奥書を載せている金沢文庫系の本文を底本としている。なお、書名は白楽天の詩の「百錬鏡」からとったものであるが、史書を時代のかがみとみる風潮にもよっている。
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扶桑略記…神武天皇より堀河天皇寛治八年(一〇九四)までの編年史。阿闍梨皇円の撰。平安末期に成立。三十巻。現在は巻二より巻八まで(神功皇后−聖武天皇天平八年)と巻二十(陽成天皇)以後との十六巻しか残っていない。このほか神武天皇より平城天皇までの記事を抄節した本が残っているので、これによって散逸部分の一部を知ることができる。内容は六国史以下日記・僧伝・縁起などを引用する一方、街談巷説・霊験譚・神仙譚なども載せている。引用書名を注記してあるので、今日伝わっていない書物を知ることができる。私的な編纂物ではあったが、中世にこの書物による記事が非常に多いことからみても、重宝な書物であることが知れよう。帝王編年記…神代より後伏見天皇(一三三六崩)までの編年史。僧永祐撰と伝えられる。二十七巻。帝王編年集成・歴代編年集成などの別名もある。六国史・公家の日記・吾妻鏡・平家物語など、諸書からの抄録を各天皇ごとにまとめ、天竺・震旦の主な史実を相当の年次にかかげ、公卿・僧職・武家など重要な職の補任の記事を載せている。鎌倉時代の部分は、京都側の史料として、簡単すぎる恨みはあるが貴重なものである。また皇子・皇女、斎王・斎院、後宮・女院、摂関大臣、将軍、執権・六波羅探題、御室・興福寺別当・東寺長者・天台座主などの次第補任記事は、古代中世の便覧必携として重宝である。
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亀山天皇正元元年(一二五九)より後桃園天皇安永八年(一七七九)までの編年体の歴史。柳原紀光撰。十八世紀末の成立。八十一冊。父光綱が六国史のあとを受け国史を編纂しようとして果たせなかったので、その遺志を継いで編纂したもの。亀山天皇以前は百錬抄にゆずった形となっている。記事は簡単ではあるが、引用史料名を明らかにしている点でも貴重であり、鎌倉後期以降の歴史を知るのに便利である。内容は朝廷中心・京都中心のものであるが、個人の力で五百二十年の歴史を編纂した功業は讃えられる。
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亀山天皇正元元年(一二五九)より後桃園天皇安永八年(一七七九)までの編年体の歴史。柳原紀光撰。十八世紀末の成立。八十一冊。父光綱が六国史のあとを受け国史を編纂しようとして果たせなかったので、その遺志を継いで編纂したもの。亀山天皇以前は百錬抄にゆずった形となっている。記事は簡単ではあるが、引用史料名を明らかにしている点でも貴重であり、鎌倉後期以降の歴史を知るのに便利である。内容は朝廷中心・京都中心のものであるが、個人の力で五百二十年の歴史を編纂した功業は讃えられる。
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亀山天皇正元元年(一二五九)より後桃園天皇安永八年(一七七九)までの編年体の歴史。柳原紀光撰。十八世紀末の成立。八十一冊。父光綱が六国史のあとを受け国史を編纂しようとして果たせなかったので、その遺志を継いで編纂したもの。亀山天皇以前は百錬抄にゆずった形となっている。記事は簡単ではあるが、引用史料名を明らかにしている点でも貴重であり、鎌倉後期以降の歴史を知るのに便利である。内容は朝廷中心・京都中心のものであるが、個人の力で五百二十年の歴史を編纂した功業は讃えられる。
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仏教説話・世俗説話の千百余を集めたもの。日本最大の説話集。宇治大納言隆国編と伝えられたが今日では疑問視されている。平安末期の成立。三十一巻。巻八・巻十八・巻二十一は散逸して伝わらない。天竺・震旦・本朝の三部に編成されている。仏教伝来の路順に従ってインド・シナ・日本と辿りつつ教理をわかり易く説話として民衆に説く目的であったらしいが、仏教と関係のない世俗説話も多く、あらゆる土地、あらゆる人間に取材し、しかも和漢梵の三者を混淆した素朴な描写で生き生きと表現している。国史・国文のみならず宗教・風俗・社会の研究にも貴重な文献である。天竺・震旦の底本は押小路本、本朝の底本には丹鶴叢書本・鈴鹿三七氏本・東大国語研究室本をとっている。
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仏教説話・世俗説話の千百余を集めたもの。日本最大の説話集。宇治大納言隆国編と伝えられたが今日では疑問視されている。平安末期の成立。三十一巻。巻八・巻十八・巻二十一は散逸して伝わらない。天竺・震旦・本朝の三部に編成されている。仏教伝来の路順に従ってインド・シナ・日本と辿りつつ教理をわかり易く説話として民衆に説く目的であったらしいが、仏教と関係のない世俗説話も多く、あらゆる土地、あらゆる人間に取材し、しかも和漢梵の三者を混淆した素朴な描写で生き生きと表現している。国史・国文のみならず宗教・風俗・社会の研究にも貴重な文献である。天竺・震旦の底本は押小路本、本朝の底本には丹鶴叢書本・鈴鹿三七氏本・東大国語研究室本をとっている。
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宇治拾遺物語…鎌倉初期には今昔物語集に倣ってできた説話集。作者、成立について詳しいことはわかっていない。十五巻。百九十七話。分類を施されていない。庶民生活を反映した奇譚異事、滑稽譚が多いが、文体は平安文学の文章に近く、今昔物語集に比べると遙かに洗練されているといえよう。芥川龍之介「地獄変」はこれに取材したものである。底本の万治二年絵入刊本を用いる。近時、古本系の本文が調査され、前記流布本系の本文との関係があらためて採り上げられはじめている。古事談…鎌倉初期の説話集。六巻。源顕兼撰と伝えられる。王道后宮・臣節・僧行・勇士・神社仏寺及び亭宅諸道に分類している。文体も仮名混りあり漢文ありで雑然としており、内容も雑多で編者の手が余り加えられていないが、臣節篇の頼長・忠通ら摂関大臣の記事、勇士篇にみられる満仲・将門・純友・頼義・義家らに関する記述など、それぞれ片々としたなかにも貴重な史料を提供するものが多い。底本に丹鶴叢書本を用いる。近時、説話集の刊行が多いが、この大系以外に現行叢書に収められていない貴重なもの。十訓抄 附異本十訓抄…鎌倉中期の説話集。三巻。六波羅二臈衛門入道撰ともいわれる。建久四年(一二五二)の成立。中国・インドの説話をも収めた少年のための教訓書。書名からもわかるように、二百八十二話を十の教訓的篇目に分類している。底本には享保六年絵入刊本ぐ角いた。異本の底本には東大国文研究室本ぐ角いているが、残念なことに第七篇と第十篇後半とを欠いている。目次で流布本・異本の説話が相互に対照できるようになっている
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古今著聞集…鎌倉時代の最大の説話集。橘成季撰。二十巻三十篇目七百余話。建長六年(一二五四)の成立、その後も増補が加えられた。はじめ、撰者の趣味としていた絵画の題材にするため、詩歌・管紘の話を集めようとしたものが、次第に対象が拡げられていって、神祇・釈教・政道忠臣・公事・文学・和歌・管紘歌舞・能書・術道・孝行恩愛・好色・武勇・弓矢・馬芸・相撲強力・画図・蹴鞠・博奕・偸盗・祝言・哀傷・遊覧・宿執・闘諍・興言利口・恠異・変化・飲食・草木・魚虫禽獣などの篇目に分類できるほどになった。同時代の説話集十訓抄にみえる話が六〇ほどある。鎌倉時代の庶民生活、世相を窺うためには好資料である。底本には元禄三年板本を用いる。愚管抄…順徳天皇までの歴史を、天照大神・春日大明神・八幡大菩薩の三神約諾によって歴史が運行していると評する歴史評論。天台座主慈円著。簡単な年代記二巻と本論四巻、要約結論とみられる附録の三部からなるが、もとはこのほかに山門の秘事を書いた別記というものがあったらしい。朝幕の雲行きの怪しくなった承久二年(一二二〇)ごろ脱稿。歴史を正面きって必然の理法で説こうとした点と、従来の貴族が天照大神と春日大明神との神意をのみ顧慮していたのに加えて、新しく武士の守護神の八幡大菩薩を入れた点とに意義が認められている。大鏡に対してその執筆態度を批判したりして、神皇正統記とともに中世史論の双璧と称されている。
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