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新版御堂関白記 日本の古典

角川ソフィア文庫 A10−1 ビギナーズ・クラシックス

出版社名 KADOKAWA
出版年月 2026年4月
ISBNコード 978-4-04-400878-9
4-04-400878-7
税込価格 1,760円
頁数・縦 569P 15cm

商品内容

要旨

摂関政治の頂点を極めた藤原道長の日記『御堂関白記』。著名な「この世をば」の歌が詠まれた夜の狂騒、政敵たちとの優美な暗闘、自身の病―、華やかな王朝文学の背後で、政務に邁進し、苦悩する道長の人間臭い実像を活写する。ユネスコの「世界の記憶」にも登録された自筆本等の現存する膨大な記事から、研究の第一人者が真実を伝える鮮烈な条を抽出して現代語訳。絶頂期を築いた男の視点から、平安貴族たちの正体に迫る。

目次

長徳元年(九九五)いきなり政権獲得
長徳四年(九九八)大病で辞表提出
長保元年(九九九)彰子を入内させる
長保二年(一〇〇〇)彰子を中宮に
寛弘元年(一〇〇四)頼通が春日祭使を務める
寛弘二年(一〇〇五)内裏が焼亡し神鏡が焼損
寛弘三年(一〇〇六)興福寺の愁訴に対応
寛弘四年(一〇〇七)決死の金峯山詣
寛弘五年(一〇〇八)敦成親王が誕生
寛弘六年(一〇〇九)敦良親王が誕生
寛弘七年(一〇一〇)〓子が東宮に入侍
寛弘八年(一〇一一)一条天皇が崩御・葬送/三条天皇が即位
長和元年(一〇一二)〓子と〓子が立后
長和二年(一〇一三)禎子内親王が誕生
長和四年(一〇一五)三条天皇との対立
長和五年(一〇一六)後一条天皇が即位/摂政に就任
寛仁元年(一〇一七)敦良親王が立太子
寛仁二年(一〇一八)威子が立后、「この世をば」
寛仁三年(一〇一九)出家する
寛仁四年(一〇二〇)無量寿院が落慶
治安元年(一〇二一)念仏を読む

出版社・メーカーコメント

平安時代というのは、ともすれば『源氏物語』に代表される文学作品を基にして考える傾向が強かった。平安貴族が実際に恋愛と遊宴にばかり熱中しているように誤解している人が多かったのである。しかし、女房文学も一面での真実を伝えているとはいえ、平安貴族の真実の姿、特に男性貴族によってとり行なわれる政務や儀式は、古記録を読み解くことによってしか解明できない。『御堂関白記』の現存三八二四条の記事のなかから、比較的短めで初心者の方にも面白いものを選んで、現代語訳、訓読文、原文で掲げた。原文は誤字・脱字や漢文の誤りも、原文のとおりにした。長い記事については、なるべく一部のみを抜粋して掲げた。興味を持たれた方は、現代語訳でも訓読文でもいいから、『御堂関白記』の他の条もご覧になっていただきたい。『御堂関白記』と道長、ひいては平安貴族のすごさを、きっと実感していただけるものと思う。【はじめにより】

著者紹介

藤原 道長 (フジワラノ ミチナガ)  
966(康保3)年〜1027(万寿4)年。平安中期の公卿。兼家の五男。母は摂津守藤原中正の娘。兄らの急死後、内覧として政権掌握。一条・三条・後一条天皇に娘らを次々入内させ、天皇の外戚として摂関政治の全盛期を築く。1016年(長和5)摂政、1017年(寛仁元)太政大臣、従一位。法成寺を建立し御堂関白と称された。日記『御堂関白記』を残した。62歳で死去
倉本 一宏 (クラモト カズヒロ)  
1958年、三重県津市生まれ。東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位修得退学。博士(文学、東京大学)。国際日本文化研究センター名誉教授。専門は日本古代政治史、古記録学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)