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証言アントニオ猪木絶望と復活の闘魂人生

出版社名 宝島社
出版年月 2026年7月
ISBNコード 978-4-299-07839-1
4-299-07839-X
税込価格 1,980円
頁数・縦 255P 19cm

商品内容

要旨

裏切りに傷つきながらカリスマであり続けた人間猪木の実像。「証言」で浮き彫りになったカリスマレスラーの光と影。

目次

第1章 若獅子・アントニオ猪木の飛躍と挫折(猪木啓介1 兄貴のようなプロフェッショナルな選手は、これから先も出てこない
グレート小鹿 猪木さんの日プロ追放を事前に知っていたら、俺が壊してた)
第2章 燃える闘魂・アントニオ猪木の挑戦と苦悩(藤波辰爾 新日本の最初の1年は、苦しかったけど、やる気と夢に満ちていた
藤原喜明 生涯、夢を追い続けられた猪木さんは、騙されても本望だったと思う
佐山聡 「猪木のためなら死ねる」「猪木のためなら耐えよう」という思い)
第3章 人間・アントニオ猪木の絶望と葛藤(加治将一 痩せ衰えた姿を見せ、心を揺さぶらせたら、それはアントンの勝ちなんだ
木村光一 猪木さんは、力道山の生き方を無意識のうちに踏襲していたと思う
サイモン・ケリー猪木1 ユークス体制で起こった「アンチ猪木派」との内部抗争)
第4章 黄昏の闘魂・アントニオ猪木の波乱と孤独(サイモン・ケリー猪木2 心底楽しそうだった“アントニオ猪木”じゃなくていい時間
猪木啓介2 アントニオ猪木がどんな人間だったか、これからも世界に伝え続けたい)
特別収録 アントニオ猪木が語る師・力道山
完全保存版 アントニオ猪木 闘魂人生詳細全史

出版社・メーカーコメント

度重なる絶望を乗り越えたアントニオ猪木の壮絶な生涯をレスラー・関係者の証言で振り返る! ブラジル・コーヒー農園での過酷な奴隷労働、会社乗っ取りの汚名を着せられ日本プロレスから追放、世間から酷評を浴びたアリ戦、副業のアントン・ハイセルでつくった莫大な借金、元公設秘書によるスキャンダル告発と参院選落選、最晩年に見舞われた難病との闘いなど苦難にまみれた人間・猪木の足跡と、それによって培われた類いまれな人間性の深淵を読み解く! 【目次】 第1章 若獅子・アントニオ猪木の飛躍と挫折/ 第2章 燃える闘魂・アントニオ猪木の挑戦と苦悩/ 第3章 人間・アントニオ猪木の絶望と葛藤/ 第4章 黄昏の闘魂・アントニオ猪木の波乱と孤独/ 特別収録 アントニオ猪木が語る師・力道山/ 完全保存版 アントニオ猪木 闘魂人生詳細全史

著者紹介

藤原 喜明 (フジワラ ヨシアキ)  
1949年、岩手県生まれ。72年に新日本プロレスに入門。新人時代からカール・ゴッチに師事し、のちに“関節技の鬼”と称される。84年2月、タイトルマッチ直前の長州力を花道で襲撃し“テロリスト”としてブレイク。同年6月に第一次UWFに移籍。スーパー・タイガー(佐山聡)、前田日明、高田伸彦(当時)らとUWFスタイルのプロレスをつくり上げる。その後、新生UWFを経て、91年にプロフェッショナルレスリング藤原組を設立。タレントとしても幅広い活躍を見せ、多くのテレビ番組、映画に出演。2007年に胃がんの手術を受けるが無事復帰し、現役選手として様々なリングで活躍中
藤波 辰爾 (フジナミ タツミ)  
1953年、大分県生まれ。70年に日本プロレスに入門。72年、新日本プロレス旗揚げに参加。ジュニアヘビー級のスターとして活躍し、82年からヘビー級に転向。長きにわたり新日本のエース格として活躍し、「名勝負製造機」と称される。99〜2004年には新日本の社長を務めた。06年、新日本を退団し、「無我ワールド・プロレスリング」に参加。08年、団体名を「ドラディション」に変更し、今も現役続行中。15年3月、猪木に次ぐ日本人2人目のWWE殿堂入りを果たした
佐山 聡 (サヤマ サトル)  
1957年、山口県生まれ。75年に新日本プロレスに入門し、76年、プロレスデビュー。海外武者修行を経て、81年にタイガーマスクとしてデビュー。その華麗な動きで一大プロレスブームをつくり上げ、新日本の黄金時代を支えた。83年、人気絶頂のさなかに引退。翌年、第一次UWFに参戦。UWF離脱後、シューティング(現・修斗)を設立し、近代総合格闘技を創始。98年にアントニオ猪木率いるUFO(世界格闘技連盟)に参加。99年4月、UFO離脱。2005年にはストロングスタイルプロレスを設立し、初代タイガーマスクとして現在も活動中
猪木 啓介 (イノキ ケイスケ)  
1948年、神奈川県生まれ。猪木家の末弟で、アントニオ猪木は一つ上の兄。57年に一家でブラジルに移住。71年に帰国し、新日本プロレスに営業として入社。アントン・ハイセルなどのブラジル関連事業にも携わる。その後、事業専念のためブラジルに渡る。2002年、猪木に請われ、永久電池事業の責任者として帰国。猪木夫人との関係から、一時期、猪木と没交渉が続いたが17年に再会。闘病生活を送った猪木の晩年を最期まで支えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)