〈種〉の超克 生命の再生産とその欺瞞
講談社選書メチエ 832
| 出版社名 | 講談社 |
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| 出版年月 | 2025年11月 |
| ISBNコード |
978-4-06-541580-1
(4-06-541580-2) |
| 税込価格 | 2,310円 |
| 頁数・縦 | 289P 19cm |
商品内容
| 要旨 |
親から子が生まれ、その子が成長して親となり、子が生まれる世代の連鎖。「死者の生まれ変わり」としての生者というイメージ。昨今取り沙汰されることの多くなった「少子化問題」。―これらはみな「生命の再生産」や「生むこと」と結びついている。だが、「生むこと」は「人類の存続」、「社会の繁栄」、「種の繁殖」といった大義の前では「当たり前に必要なこと」なのか?その「当たり前」を問いに付し、マルクスに立ち返りながらフォイエルバッハや田辺元の思想を再検討する渾身の論考。著者待望の新著、満を持してここに刊行。 |
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| 目次 |
序章 |





出版社・メーカーコメント
本書の副題にある「生命の再生産」という言葉を目にするとき、何を思い浮かべるでしょうか。親から子どもが生まれ、その子どもが成長して親となり、またその子どもが生まれる、という世代の連鎖でしょうか。それとも死者の生まれ変わりとしての生者というようなイメージでしょうか。取り沙汰されることの多い「少子化問題」を思い浮かべる人もいるかもしれません。出生数の減少が社会に負の影響を及ぼしている、という議論がなされています。そこでは、「生むこと」をしない人が増えたことに危機感を抱き、次世代に対する責任が説かれたり、「生むこと」をめぐる個人を取り巻く環境を整備する必要性が訴えられたりします。しかし、本書は「生むこと」を「人類の存続」や「社会の繁栄」や「種の繁殖」といった大義のために「当たり前に必要なこと」とは考えません。「人類」や「社会」や「種」を構成する人々の数が増えるか否かという尺度で「生まれること」を意味づける考え方から距離を置き、「生まれること」をそれ自体として意味づけることを試みるのです。そのためには、各々の経験の個別性や唯一性を捨象せず、どのような経験をした人にも共通して開かれた地平で「生まれること」について考えなければなりません。本当は誰にとっても関わりのある「生命の再生産」という問題をマルクスに立ち戻ってそれ自体として考察する中で、フォイエルバッハや田辺元といった者たちの思考を再検討する本書は、マルクスの思考には今日の重要な課題である「人新世」の始まりやエコロジーに通じるものがあることを明らかにするでしょう。『高群逸枝の夢』で注目を集めた著者が満を持して放つ渾身の論考がついに姿を現します。