商品内容
| 要旨 |
“バカ殿”島津久光を国父に戴き、生麦事件そして薩英戦争を引き起こしながらも「攘夷」の無謀さに目覚めた薩摩。一方、攘夷派を抑えきれず、ついには「朝敵」の汚名を着ることになった長州。のちに明治維新の原動力となった両藩がまつたく異なる道を歩んでいた激動の3年間に迫る! |
|---|---|
| 目次 |
第1章 一八六二年編―幕府を窮地に陥れた生麦事件と島津久光(幕末年代史編、前巻までの時代の流れ |
| 要旨 |
“バカ殿”島津久光を国父に戴き、生麦事件そして薩英戦争を引き起こしながらも「攘夷」の無謀さに目覚めた薩摩。一方、攘夷派を抑えきれず、ついには「朝敵」の汚名を着ることになった長州。のちに明治維新の原動力となった両藩がまつたく異なる道を歩んでいた激動の3年間に迫る! |
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| 目次 |
第1章 一八六二年編―幕府を窮地に陥れた生麦事件と島津久光(幕末年代史編、前巻までの時代の流れ |
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逆説の日本史 20
井沢元彦/著
小学館
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BK
出版社・メーカーコメント
覚醒した薩摩、目覚めなかった長州世にに言う「八月十八日の政変」で京を追われた長州は失地回復を狙って出兵を行なうも、会津・薩摩連合軍の前に敗走する。この「禁門(蛤御門)の変」以降、長州と薩摩は犬猿の仲となるが、その後、坂本龍馬の仲介で「薩長同盟」が成立。やがて両藩は明治維新を成し遂げるために協力して大きな力を発揮した――。以上はよく知られた歴史的事実であるが、じつは禁門の変以前の薩長の関係は大変良好であった。策士・久坂玄瑞の働きにより、すでに「薩長同盟」は実質的に成立していた、と言っても過言では無い状態だったのである。では、友好だった両藩が、「八月十八日の政変」「禁門の変」へと突き進み互いに憎しみあい敵対するようになったのはなぜなのか?そこには、兄・島津斉彬に対するコンプレックスを抱えた“バカ殿”久光を国父に戴き、生麦事件や薩英戦争を引き起こしながらも「攘夷」の無謀さに目覚めた薩摩と、“そうせい侯”毛利敬親が藩内の「小攘夷」派を抑えきれず、ついには「朝敵」の汚名を着ることにまでなってしまった長州との決定的な違いがあった。