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台湾人の歌舞伎町 新宿、もうひとつの戦後史

出版社名 紀伊國屋書店
出版年月 2017年9月
ISBNコード 978-4-314-01151-8
4-314-01151-3
税込価格 1,980円
頁数・縦 249P 20cm

商品内容

要旨

“らんぶる”も“スカラ座”も“風林会館”も台湾人がつくった―終戦までの50年間、日本の統治下にあった台湾。8万人あまりが“日本兵”として戦争に駆り出され、戦前から日本に“内地留学”をしていた者も多くいた。戦後、今度は一転、“外国人”として裸一貫で放り出された台湾人はやがて駅前のヤミ市で財をなし、焼け野原に新たに構想された興行街・歌舞伎町を目指した―初めて明らかにされる、貴重な時代証言。

目次

第1章 “ルンバ”の青春 1945‐49―虚脱から再起へ(“やんちゃ”少年、内地へ留学する
ヤミ市から始まった戦災復興 ほか)
第2章 “地球座”から始まった歌舞伎町 1945‐49―理想と停滞(鈴木喜兵衛が描いた理想のまちづくり
林以文、“地球座”に出会う ほか)
第3章 「歌舞伎町」前夜 1950‐54―焦燥から光明へ(“博覧会”という宴のあと
駅前の“ヤミ市”去って、歌舞伎町に“青線”来たる ほか)
第4章 “じゅく文化”の裏に台湾人華僑あり 1955‐64―胎動から興隆へ(“じゅく文化”は名曲喫茶から
娯楽のまちと暮らしのまち ほか)
第5章 台湾人が愛した歌舞伎町 1965‐74―爛熟、そして変容(華僑ストリートになった花道通り
歌舞伎町の“ザ・台湾人華僑”たち ほか)

おすすめコメント

<らんぶる>も<スカラ座>も<風林会館>も台湾人華僑がつくった・・・。  戦後、焼け野原に建設された「歌舞伎町」は、鈴木喜兵衛(町会長)や石川栄耀(都市計画家)らによる功績として語られてきた。しかし歌舞伎町が興行街として産声を上げ、さらに昭和30年代から40年代にかけて輝かしい時代を築いていく過程で、台湾人が大きな役割を果たしてきたことは、ほとんど知られていない。   長い歳月をかけて行われたインタビュー調査をもとに、そうした台湾人の多くが、新宿のヤミ市「安田組西口マーケーット」にルーツをもつことを突きとめ、彼らの濃密なネットワークのなかから、喫茶店や映画館、パチンコ店、キャバレー、ヤキトリ屋、ホテルなど、“新宿文化”が芽吹いていった事実を明らかにする。  知られざる戦後史であり、歴史的資料として価値の高い一冊!

著者紹介

稲葉 佳子 (イナバ ヨシコ)  
1954年生まれ。法政大学大学院デザイン工学研究科兼任講師、博士(工学)。都市計画コンサルタントを経て、2008年よりNPO法人かながわ外国人すまいサポートセンター理事。2012年から新宿区多文化共生まちづくり会議委員
青池 憲司 (アオイケ ケンジ)  
1941年生まれ。映画監督。監督作品に『ベンポスタ・子ども共和国』(日本カトリック映画賞受賞)、『琵琶法師山鹿良之』(毎日映画コンクール・記録文化映画賞受賞)、『野田北部・鷹取の人びと』全一四部(日本建築学会文化賞受賞)ほかがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)