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夜明けのバッティングセンター 3・11で7人の家族を失った息子と私の15年

出版社名 草思社
出版年月 2026年2月
ISBNコード 978-4-7942-2833-8
4-7942-2833-3
税込価格 1,980円
頁数・縦 191P 19cm

商品内容

目次

第1章 どんな夜でも朝はくる(38年越しの夢の舞台「甲子園」のマウンドに立った日
遠くても光は見える ほか)
第2章 調布市から気仙沼市へ(幼少期のやけど事件から始まった野球との出合い
混乱の家庭で育ち、自立心が芽生えた ほか)
第3章 人生を変えた息子の一言。「バッティングセンター、造ってよ」(息子と続けたキャッチボール
「バッティングセンター、造ってよ」 ほか)
第4章 忘れてはいけない。2011年3月11日14時46分(風化させてはならない震災の現実
最後の団らん、最後の食卓 ほか)
第5章 天国の家族が誇りに思ってくれる人生を歩み続けたい(憧れのヒーロー、王貞治さんとのご縁
小久保裕紀さんからいただいたエールを胸に ほか)

出版社・メーカーコメント

これは、特別な人の話ではありません。津波で家族を失い、それでも「父であること」をやめなかった1人の人間の記録です。2011年3月11日。東日本大震災の津波は、宮城県気仙沼市で暮らしていた著者から、家族7人の命を奪いました。生き残ったのは、当時まだ幼かった息子と、父である著者、ただ2人だけでした。深い喪失と、言葉にできない思いを抱えながら、著者はただ働き続けます。立ち止まってしまえば、心が壊れてしまいそうだったからです。「なぜ生き残ったのか」答えの出ない問いを、何度も胸の中で繰り返した著者。「正直に言えば、すべてを終わらせたいと思ったこともあった」といいます。それでも踏みとどまることができたのは、生きていてくれた息子の存在があったからでした。そんなある日、息子が何気なく口にします。「僕はお父さんに連れてきてもらえるからいいけど、バッティングしたくてもできない友だちが、たくさんいるんだ。近くにバッティングセンターがあればいいのに……造れないかな」その一言で、時間が動き出します。被災地で失われた日常を、もう一度取り戻したい。そして何より、息子や子どもたち、地域の住民が笑える場所を残したい。その思いが、著者を前へと進ませました。牛乳販売店を営む著者は、バッティングセンター建設という夢を実現するため、ヨーグルト飲料「希望ののむヨーグルト」を開発。全国で販売し、その収益を資金として積み重ねていきます。多くの人の支えに背中を押されながら完成したのが「気仙沼フェニックス・バッティングセンター」でした。本書は、東日本大震災の記録であると同時に、喪失の中から「生き直す」ことを選んだ1人の父の物語です。生きていてくれた息子への感謝と、人と人とのつながりがもたらす再生の力を静かに綴る本書には、王貞治、掛布雅之、小久保裕紀、池山隆寛ら、この歩みを見守ってきたプロ野球界のレジェンドたちの言葉も収録されています。

著者紹介

千葉 清英 (チバ キヨヒデ)  
株式会社千葉一商事代表取締役社長。「気仙沼フェニックス・バッティングセンター」運営者。1969年東京都生まれ。1988年東京都立南野高等学校(現・東京都立若葉総合高等学校)卒業後、(株)坂口入社。1998年に結婚し、妻の実家がある宮城県気仙沼市へ移住。2003年(株)千葉一商事に入社し、2009年 代表取締役に就任。2011年3月11日に発生した東日本大震災で7人の家族を亡くす。2014年に「気仙沼フェニックス・バッティングセンター」をオープン。東日本大震災の体験、防災の大切さを伝えるため、講演活動を行う
藤澤 志穂子 (フジサワ シホコ)  
ジャーナリスト。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。1967年東京都生まれ、学習院大学法学部政治学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻修士課程(映画学)を経て1992年、産経新聞東京本社入社。社会部、経済本部、外信部、米コロンビア・ビジネススクール客員研究員(2006〜2007年)などを経て、秋田支局長を最後に2019年退社。放送大学非常勤講師(メディア論)、広島県の公立大学の広報課長を経て2021年から外資系コンサルティング会社で危機管理広報、メディアリレーションなどに従事。並行して執筆を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)