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大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験

講談社選書メチエ 631

出版社名 講談社
出版年月 2016年8月
ISBNコード 978-4-06-258634-4
4-06-258634-7
税込価格 2,035円
頁数・縦 317P 19cm

商品内容

要旨

一九四〇年八月一日、「大東亜共栄圏」という言葉が外務大臣・松岡洋右によって初めて公表された。新秩序構想を支えるスローガン「八紘一宇」の出自とは?やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦に到る日本の針路はこの構想で想定されていたのか。日本人の目を異文化へと開く一方、三年半余りにわたって二〇〇万の日本人に「南方」での生活を強い、数千万の東南アジアの人々に「日本人」と「日本文化」を目撃させた特異な歴史的運動を多角的に検証する。

目次

第1章 大東亜共栄圏構想の誕生(ドイツ勝利への危機感
松岡洋右の登場と大東亜共栄圏構想
日米・日独・日ソ交渉と大東亜共栄圏構想)
第2章 大東亜共栄圏構想と対米開戦(松岡の帰国と大東亜共栄圏構想の停滞
選択された日米開戦
開戦前「独立」構想
「八紘一宇」と「亜細亜の解放」)
第3章 異文化体験の空間(「独立」か「占領」の継続か
マレー軍政部の多民族統治
徴用作家の南方体験
東南アジア情報の還流と蓄積)
第4章 「アジア解放」をめぐる異文化交渉(抗い続ける他者の姿
独立に対する本心
南方特別留学生制度と大東亜会議
崩壊する共栄圏)

おすすめコメント

「大東亜共栄圏」という言葉が当時の外務大臣・松岡洋右によって初めて公表されたのは1940年8月1日であった。その用語は当時のどのような国際情勢をふまえ、いかなる意図を持って掲げられたのか。やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦へと突き進むことになる日本の方向は、この構想が想定する道だったのか。また、この構想を支えるようになる「八紘一宇」というスローガンは、そもそもどんな思想的出自をもつのか。対米外交の行き詰まりと東南アジア情勢への介入が拡がるなか、これらの言葉は日本人の目を「南方」異文化へと開き、「共栄圏」への志向を強めていく。結果的には3年半余りしか続かなかった「大東亜共栄圏期」。その間200万人を超える日本人に東南アジアでの生活を強い、数千万人の東南アジアの人々に「日本文化」を目撃させた特異な時代は、どんな状況に生まれてきたのか、何か明確な理念を持っていたのか。本書は1940年代前半の日本全体を覆った歴史的運動を多角的に検証する。

著者紹介

河西 晃祐 (カワニシ コウスケ)  
1972年、東京都生まれ。上智大学文学部史学科卒業。上智大学文学研究科史学専攻博士後期課程修了。文学(史学)博士。現在、東北学院大学文学部歴史学科教授。専攻は日本‐東南アジア国際関係史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)