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なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦

PHP新書 1057

出版社名 PHP研究所
出版年月 2016年8月
ISBNコード 978-4-569-82679-0
4-569-82679-2
税込価格 1,012円
頁数・縦 334P 18cm

商品内容

要旨

幕末会津の栄光は、彼なしにはありえなかった。相つぐ飢饉で、日本全国が危機に陥った江戸時代中期。藩政改革に、もっとも成功した藩こそ、名家老・田中玄宰がいた会津藩であった。会津松平家初代の名君・保科正之の政治手法を深く学び、57万両にも及んだ借金を産業振興と倹約でほぼ完済し、藩校日新館を建てて会津武士道を確立し、軍制改革で有事即応力を劇的に高め、さらにはロシア撃退のために樺太にまで出兵している。しかも、農民を収奪せず、暮らしやすい政治で人口を増やし、共存共栄の社会をつくった。緻密な分析で驚きの手腕を解明する感動の評伝。

目次

第1章 天明の大飢饉
第2章 人口動態から見た改革の必要性
第3章 政務についての建策
第4章 社倉制度の拡充と軍制改革
第5章 会津藩の教育改革
第6章 会津藩の司法改革と服色制度
第7章 地場産業の育成
第8章 財政再建をめざして
第9章 内憂外患を恐れず
第10章 田中という家系

おすすめコメント

借金まみれの国の財政をいかに立て直すか。現代日本が直面する問題の最適なケーススタディとなる名家老の姿を描く書下ろし評伝。

出版社・メーカーコメント

藩窮乏の危機から一大飛躍! 上杉鷹山を凌駕する改革者がいた。幕末維新期、なぜ会津藩はあれほどの光芒を放つことができたのか? それを可能にしたものこそ、名家老・田中玄宰の藩政改革であった。寛政期(江戸時代中期)、相つぐ飢饉で、日本全国が危機に陥った。上杉鷹山率いる米沢藩、松平定信が率いる白河藩をはじめ各藩は必死に改革に取り組んだが、そのなかで、もっとも成功した藩こそ、田中玄宰のいた会津藩だったのである。松平定信が白河藩の家老たちを訓戒した言葉が今に伝わる。いわく、「その方ら、会津の田中三郎兵衛(玄宰)に笑われぬようにせよ」。田中玄宰は、会津松平家初代の名君・保科正之の政治手法を深く学び、荒廃する農村を社会保障策で救い、57万両にも及んだ借金を産業振興と倹約によってほぼ完済し、藩校日新館を建てて会津武士道を確立し、軍制改革で有事即応力を劇的に高め、さらにはロシア撃退のために樺太にまで出兵している。しかも、藩の公費をすべて元本の返済に充てるとしても完済に20年以上かかる莫大な借金を抱えながら、農民たちを収奪することなく、暮らしやすい政治を行なって人口を増やし、共存共栄の社会をつくったのである。緻密な分析で驚きの手腕を解き明かす、感動の評伝。

著者紹介

中村 彰彦 (ナカムラ アキヒコ)  
1949年、栃木県生まれ。東北大学在学中に「風船ガムの海」で第34回文學界新人賞佳作入選。1987年「明治新選組」で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1993年『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年「二つの山河」で第111回直木賞を、2005年『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)