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新考・近衛文麿論 「悲劇の宰相、最後の公家」の戦争責任と和平工作

出版社名 芙蓉書房出版
出版年月 2022年11月
ISBNコード 978-4-8295-0848-0
4-8295-0848-5
税込価格 2,750円
頁数・縦 361P 21cm

商品内容

要旨

毀誉褒貶が激しく、評価が定まっていない近衛文麿その戦争責任と和平工作の全容を約400点の文献資料に基づいて是々非々の立場で論じる新たな視点による近衛の人間像。

目次

第1章 近衛文麿の生い立ちなど
第2章 近衛文麿の戦争責任(盧溝橋事件の事変拡大を防ぐことはできなかったのか?
上海事変から南京、武漢三鎮攻略までの事変拡大を防ぐことはできなかったのか?
上海事変から南京、武漢三鎮攻略までの事変拡大を防ぐことはできなかったのか?
トラウトマン工作を成功させることはできなかったのか?
なぜ「国民政府を対手とせず」の第一次近衛声明を出してしまったのか?
汪兆銘政権を傀儡化せず、育成強化して和平に導くことはできなかったのか?
なぜ得体の知れない大政翼賛会を作ってしまったのか?
なぜ日独伊三国軍事同盟を締結してしまったのか?
なぜ南進策を決定して日米関係を決定的に悪化させてしまったのか?)
第3章 近衛が取り組んだ和平工作(盧溝橋事件勃発直後から近衛は密かに様々な和平工作に取り組んだ
日米諒解案交渉
近衛は敗戦直前まで様々な和平工作に取り組んだ
歴史的に再評価されるべき近衛上奏文)
第4章 「悲劇の宰相、最後の公家」だった近衛文麿(思想を大きく変化させた近衛
近衛の「先手論」と「毒を以て毒を制す」
昭和研究会、風見章、尾崎秀実と近衛
近衛は「誰がかぶっても似合う帽子」だった
近衛の「正直さ」「冷酷さ」「強さと弱さ」
近衛と木戸幸一、都留重人、ハーバート・ノーマン
近衛と天皇、皇室
「悲劇の宰相」そして「最後の公家」であった近衛)
第5章 海軍と陸軍の和平への対応と責任論(補論)(共産主義への親和性が強まっていた陸軍
海軍はソ連や延安共産党への警戒心がなく、〓介石との講和を全く考えていなかった
海軍が和平工作を誤った責任は大きい
米内光政の功罪
陸軍の阿南惟幾は、〓介石との和平を強く求めていた
最期まで理解し合えなかった米内と阿南)

出版社・メーカーコメント

毀誉褒貶が激しく、評価が定まっていない近衛文麿その戦争責任と和平工作の全容を、約400点の文献資料に基づいて是々非々の立場で論じる新たな視点による近衛の人間像近衛が敗戦直前まで試みた様々な和平工作の詳細と、それが成功しなかった原因を徹底検証する◎支那事変の拡大・泥沼化は防げなかったのか?◎なぜ「国民政府を対手にせず」の近衛声明を出したのか?◎なぜ三国同盟を締結してしまったのか?◎なぜ得体の知れない大政翼賛会を作ってしまったのか?◎なぜ南進策を決め対米関係の決定的悪化を招いたのか?目次第1章 近衛文麿の生い立ちなど第2章 近衛文麿の戦争責任 1 盧溝橋事件の事変拡大を防ぐことはできなかったのか? 2 上海事変から南京、武漢三鎮攻略までの事変拡大を防ぐことはできなかったのか? 3 トラウトマン工作を成功させることはできなかったのか? 4 なぜ「国民政府を対手とせず」の第一次近衛声明を出してしまったのか? 5 汪兆銘政権を傀儡化せず、育成強化して和平に導くことはできなかったのか? 6 なぜ得体の知れない大政翼賛会を作ってしまったのか? 7 なぜ日独伊三国軍事同盟を締結してしまったのか? 8 なぜ南進策を決定して日米関係を決定的に悪化させてしまったのか?第3章 近衛が取り組んだ和平工作 1 盧溝橋事件勃発直後から近衛は密かに様々な和平工作に取り組んだ 2 日米諒解案交渉 3 近衛は敗戦直前まで様々な和平工作に取り組んだ 4 歴史的に再評価されるべき近衛上奏文第4章 「悲劇の宰相、最後の公家」だった近衛文麿 1 思想を大きく変化させた近衛 2 近衛の「先手論」と「毒を以て毒を制す」 3 昭和研究会、風見章、尾崎秀実と近衛 4 近衛は「誰がかぶっても似合う帽子」だった 5 近衛の「正直さ」「冷酷さ」「強さと弱さ」 6 近衛と木戸幸一、都留重人、ハーバート・ノーマン 7 近衛と天皇、皇室 8 「悲劇の宰相」そして「最後の公家」であった近衛第5章 海軍と陸軍の和平への対応と責任(補論) 共産主義への親和性が強まっていた陸軍 海軍はソ連や延安共産党への警戒心がなく、?介石との講和を全く考えていなかった 海軍が和平工作を誤った責任は大きい 米内光政の功罪 陸軍の阿南惟幾は、?介石との和平を強く求めていた 最期まで理解し合えなかった米内と阿南阿南の真意は講和論だった/ク…

著者紹介

太田 茂 (オオタ シゲル)  
1949年福岡県生まれ。京都大学法学部卒。現在、虎ノ門総合法律事務所弁護士。1977年大阪地検検事に任官後、西日本、東京等各地の地検、法務省官房人事課、刑事局勤務。その間、1986年から3年間北京の日本大使館一等書記官。法務省秘書課長、高知・大阪地・高検各次席検事、長野地検検事正、最高検総務部長を経て、2011年8月京都地検検事正を退官。早稲田大学法科大学院教授、日本大学危機管理学部教授を8年間務めた。剣道錬士七段。令和2年秋、瑞宝重光章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)