|
渕書店 BOOKSTORE FUCHIのレビュー |
![]() |
掲載レビュー全106件 |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
そうしただれかのために私のできること | ||
|
||
この本はガーデニスト佐々木格さんが実際に岩手にあるご自宅の庭に設置している“もういない人へかける電話ボックス“をモチーフにして書かれたものです。その後、東日本大震災が起こり、いま現在も電話は多くの人に使われています。 こどもが興味深く楽しめる絵本ながら、大人たちが読むことによっては、こども視点とは異なる、あるいはこどもが感じとるであろう物語が持つ「深み」が言語化されるかもしれません。 山の上にある赤い電話。そこを目指す子だぬき、うさぎのおかあさん、きつねのおとうさん・・。ねこさんは「・・いきるということは、しぬということは・・・・ どういうことですか? おしえてください・・・かみさま」。電話を置いたくまのおじいさんはなぜか、じぶんが置いたはず電話がりんりん鳴るのを聞いて驚く・・・。星。 わたしとだれかのあいだにある「二人称の死」、だれかとだれかのあいだにある「三人称の死」、そしてわたしの死である「一人称の死」。わたし(一人称)は、だれかとだれかにあいだにある「何か」へ、傲慢でなく、無遠慮にならずに、非礼でも、厚かましくなることにもならず、わたしの「価値」を所有概念を持つこともなく差しだすことが、関わらせることができるだろうか? 豊かな絵本は必ず読者に寄り添い、何らかの恵みを与えてくれる。そんなことを思わせました。 (2022年07月10日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
そして公の組織という概念は誰のためにありますか? | ||
|
||
元厚生労働省事務次管。不正証明書発行の容疑で逮捕拘置された体験から、検察の在りかたに「日本型組織」の原型をみる。その後裁判によって完全無罪が証明された村木氏。つまり与りかり知らぬことろで犯罪者として扱われた冤罪事件。当事者として自分の目のまえで起こった事実を書き起こし、市民として公務に就く者として日本の組織に共通する悪しき特徴を、怒りでなく悲しみのようなトーンで告発してみせる。本書ではまた、誠実さが窺える人物としてのキャリアが自叙伝的な赴きで振り返られる。これを読むと社会に衝撃を与えた事件と闘った偉大な村木氏も、想像を超えた大人物というわけではなく、どちらかといえば気の小さい(本書でご自身、そう書かれています)読者にも身近な一人の人間であることがわかります。ただ、読者は、たゆまない公務員としての氏の律儀さに尊いものを思うはず。自分に与えられた一日一日を丁寧に生きる姿勢(拘置所の中できることは少なく、許された好きな読書。その一冊に比叡山飯室谷不動堂長寿院住職酒井雄哉著作『一日一生』がありました)、それこそが彼女の偉大さを創る動機と分かるはず。時には官僚としてキャパオーバーとなりがちな環境にさらされながら、弱気になれども、根強く息づく公人としての、人のための使命感-。読了後、読者の心に強く働きかけたのは、村木氏をパートナーとして頼もしく支える夫と、頑張る母を応援し続ける子供たちという最小単位の「組織」(語弊がありそうで恐縮ですが)である家族の存在。逮捕当時、彼女は育児・介護休業法の改正案を国会で通すために奔走していました。退官後は様々な要職に就かれ、2021年6月 - 内閣官房孤独・孤立対策担当室政策参与に任命されてます。 (2022年07月06日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
as strong as possible. | ||
|
||
学校のリーダー格真田の嫉妬により集団的な迫害を受ける主人公こころは、不登校で閉じこもる自室の鏡からオオカミの仮面を被っている少女が取り仕切る「城」へと誘導される。そこにはこころと同じように心を痛めた不登校の中学生達が集められている −。斜に構えた読者ならば、この物語設定から彼らが仲間となりそれぞれの解決へと向かうという流れを予想するはず。その読みに基本的に誤りはないかもしれません。しかし本作はそんな単純な構造でだけで出来てはいず、いくら読者の察しが良くとも「城」に集められたみんなの関係が明らかになる後半の展開は読めない。強さと限界、現実の過酷さ。友情と理解者、大人の力。つながり。優しさ。愛ー。孤立したこころを通してそれらが切実に読者に迫ります。ファンタジー要素の濃い本作ですが、リアルな心理描写が読者の感受性に訴える共感と肯定感の強い力はファンタジーから地上へとのラインを持つものです。前半からは予想できない終盤の主人公こころの成長。作品読了後読者が得るのは希望という概念です。本屋大賞受賞。 (2018年08月23日) | ||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
人類がヒト科を地球から絶やさぬため、必ず読むように!! | ||
|
||
某メーカーの人工知能プロジェクトで働いていた著者。本書では男女の脳の持つ特徴を明らかにし取扱説明書(トリセツ)にしてしまう。なぜ「キレる」?なぜ「懲りない」?そういった互いへの関係不全も「トリセツ」があれば大丈夫!・・とばかりにユーモアを込め、毒と薬。著者によれば男女の脳の構造には「脳梁」という右脳と左脳にニューロンを連携させる器官の太さに歴然と違いがあり、それは思考に影響を及ぼす。基盤が違うのだから考え方も違うのだ、というわけで。すれ違う。クラッシュしても当然・・となる。それをわきまえず各々の脳に従うだけでは、”このトースターはなんでご飯ばかりできるのか?”理不尽な問いが立つ。ならば割り切ろう。トリセツで互いのトースター(脳=考えかた)の扱いを覚えよう。うまくいくはず!健全にブラック。ただ、本書には別の面への視点がある。30年ほど前に法制化された男女雇用機会均等法に際し、脳構造を知る者として著者は現代日本の課題の一つ「少子化」への危惧を覚えたことが本書を書かせた。女性は男性型にできてしまっている合理的な社会の中で、サバイバルするために女性的な脳を捨てざるを得なくなり、結果として女性の脳だからこそなし得る猥雑と例外のかたまり(本文)の子どもを育ててゆく、つまり子育てとはそもそも例外だらけの不合理なものであり、合理化されてしまう脳にそれが耐えられるはずがない。その力もやがて消えてゆくだろうというわけ。その30年後、今の状況は?なかなか証明できないと思われるが一要因は反映されてる?読者も無視できない??右記、読んでいただくためにフォロー。 ー 著者からのメッセージは、男性であれ、女性であれ、各々が持つ脳の力を分かり合えば、社会、家庭の場面でそれぞれ適切な力を発揮できる、それこそが肝心。曰く、徹底合理化されている社会に女性が不向きというわけでもなく、女性的な脳は組織の能力向上のためには不可欠。当たり前のことで、生まれ持っての性別だけで簡単に割り切れるモノでもない。実際同一性障害の脳はどうだ?主張に従えば最強の脳(本文)かもしれない、と。さて、法律が変われど女性は大丈夫。では、育メンにおける男性の脳の可能性はどうか?・・そこは書かれていないぞ。ブラック。 (2017年10月09日) | ||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
「戦争」をシンプルに見つめると・・ | ||
|
||
平和に暮らすことを求める6にんの男から始まります。初めは平和に暮らしたかっただけ。そのはずが、一度かねもちになると自分の 財産の 心配をはじめ だし・・・という戦争がどのようにして起こり最後はどうなっていったのかを描いた本です。戦争がダメだということが分かっても人の欲が大きくなると他人のことを考えにくくなるのだろうかと考えさせられる絵本です。 文責 「リトル本屋」リトラー 松田美琴 (2021年10月19日) | ||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
人生それぞれ。何が悪い?ゴーゴー!! | ||
|
||
幼い頃「合理性」という基準で粗暴な行動を起こすなど問題児であった主人公。カウンセリング等も受けたようだが周囲の人間から「治らない」と心配される。いわゆる障害、とされるが知能にそうしたところは全くない。情緒障害とも違う。「合理性」こそが彼女を動かし自分ではどう他人と違うのか分からない。そこにコンビニという「合理性」の塊のような環境が現れる。その環境の中に入ってマニュアルに従っていれば、まとも、普通、正常であるとなんとなく他人から見られることを知り自分でも納得がいくというわけだ。『ああ、私は今、上手に「人間」ができているんだ(本文)』。そこに新しい価値観を突きつけてくる人間が登場する。「婚活」のためというわけのわからない理由で職場に入ってきた35歳の男。縄文時代に自分の不甲斐なさの言い訳などを求めている屈折したさえない男だがこの男と主人公のやりとりがたまらなくおもしろく読んでいてのけぞる。一体二人で何を言い合っているのだろう?と笑いが止まらない。しかし、彼の「指示」に従うことで主人公の周囲が彼女を「仲間」と見做しだす。二人は同棲する。そして主人公はコンビニ店員に自分らしい人間の原型を求めた生き方の「方法」のようなものを崩される・・・。 主人公の周囲に対する冷めた温度感は読者を妙に安定させる。彼女の生きざまを「障害」とみる見方もあるし、彼女の周囲はそう考えるわけだが−。読み終えた後、主人公が意気揚々と人生を歩んでゆく姿が見えた。何が悪い?ゴー、ゴー!! (2016年09月04日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
このレビューをみつけたあなたにも、いいね! | ||
|
||
この本は様々な視点のものをいいね!とほめています。一つ一つの内容に主人公がいて共 感できるいいね!や新しい発見となるいいね!など自分の考えを交えながら読むと本をコ ミュニケーションをとっているような感覚になれます。この本を通して世の中の小さいこ とにもポジティブな目を向けることが出来るようになりました。いいね!という言葉を使 えば明るく前向きに自分になれます。このレビューをみつけたあなたにも、いいね! 文責 「リトル本屋」リトラー 松田美琴 (2021年10月15日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
あきれるほどのハイセンス・・に、違いない!? | ||
|
||
ガムを吐き捨てた少年の前に現れるガムのようせいによるおもしろおかしい突っ込み感満 載の絵本です。漫才師「笑い飯」が内容を作っておりまるで漫才のような少年とガムのよう せいの掛け合いに思わず笑ってしまいます。個性のある不思議な絵本を求めている方にお すすめの一冊です。 文責 / 松田美琴@「リトル本屋」リトラー (2021年09月27日) | ||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
透徹したあのまなざしは語るー | ||
|
||
この本は、現役を引退されて、現在はサッカー解説者やスポーツキャスターとして活躍され ている内田篤人氏が現役時代に出版された本である。内田篤人氏はサッカーにおいて華々 しい経歴の持ち主である。また、試合後のインタビューなどでは、いつも飄々としている印 象を私は持っていた。しかしながら、その活躍や姿の裏には、怪我や様々な選択をしていく 中での葛藤や非常に熱い想いがあったことをこの本を読んで知ることができた。この本を 読んで、内田篤人氏の考えに触れ、このような生き方もあるのだと大きな学習になった。 ※ 文責/ 増田ちえり@「リトル本屋」リトラー (2021年09月26日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
狐の可愛さに惹かれて・・ | ||
|
||
私は、表紙に載っている狐が可愛かったからという理由でこの本を読み始めた。ただただ狐 がもふもふしていて可愛いなと思っていたのであるが、実はこの狐が神様であり、物語に大 きく関係しているということを知って驚いた。どのように主人公と関係しているのかは、実 際に本を読んでからのお楽しみである。私は本を読み進めていくうちに、人間と御用を頼ん でくる神様との関係に笑い、感動してしまった。この本はシリーズ化されているため、主人 公と狐神の信頼関係、また物語の中で現れる日本の様々な神様に注目して読み続けたいと 感じた。 ☆☆ 文責 「リトル本屋」リトラー増田ちえり ☆☆ (2021年09月23日) | ||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
ケタケタと笑ううち顔色を失くす! 町田康・・こわっ | ||
|
||
この世は条虫(サナダムシ)の胎内。条虫の肛門から外に出て、真正・真実にいたる手段として腹をふる。取り憑かれた宗教集団腹ふり党。狂騒的な音楽が鳴り響き、家並みが破壊され、商家は略奪にあい、放火は続き、血と暴力であふれ死が横溢される。壮絶異次元の時代劇!!・・と、書くと怖いのか、それとも笑いなのか、というところですがー。それはともかくとして、物語中にみる俗塗れで上わべだけの名士たちを中心とした登場者たちによる「思考脱線」「言葉遊び」「ナンセンス行動」に見るこのできる町田的エスプリセンスだけでも読む価値はありそう。主人公は掛十之進。自らを腹ふり党エキスパートと偽り、腹ふり党が現れた際の用心棒になると黒和藩家老内藤に自分を売り込む。内藤は宿敵大浦を貶めるため掛を採用し、なぜだか流れでまんまと大浦は左遷。左遷先は“猿回しをするさるまわ奉行“・・。万事この調子。だから、そのため、読了するまでこの物語の奥に眠る狂気の全容は見えない。腹を振り続ける狂徒と化した庶民と猿軍団との殺し合い。人はなぜだか宙に浮かび、爆発!むちゃくちゃ笑える。さらにはテーマそのものであった腹ふり党そのものが・・。クレージーな町田脳にしか書けない町田ワールド。腹をふる。腹をふる。腹をみんなで一斉に振る。そしてこの不条理世界の中でキラキラと輝く純朴で可憐な謎のヒロインろんと掛との恋の行方は?Let’sトライ・ザ・町田康ワールド!笑いに彩られたミラクル。妄想の果ての真実の世界。町田康さん、こわ。そして、すご。 (2018年09月18日) | ||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
正直者の最後の祈り | ||
|
||
漫画原作者という顔のいっぽうで、ノンフィクション、ルポライターの顔を持つ著者。多分野に渡るフィールドワークの力が、本書においては自身の少年院篤志面接官活動等を通しての少年非行犯罪、そしてそれを規定する少年法について書き起こさせる。ライフワークとなっていたであろう思想のさらなる追求がここで試みられる。その過程で末期がんの宣告を受ける。 病床で書かれる後半部分が当初の企画構成とは異なるものとなっていったのは容易に想像できる。そしてうがって読めばその思いがけない出来事が本書で著者が書きたかった何かを表現させるモチベーションとして作動したのかも知れないたとも想える。執筆中、佐世保の同級生殺害事件が起こり、後半部分は自らに迫る死を想いながらの事件加害者少女への手紙というかたちで書き続けられる。 思春期より自分が生死に怯えていたことを少女へ告白し、少年の頃のカエル殺しに始まり、祖父の死、同級生の死と、身近に起きた死を回顧しながら少女へ、命のありようと、贖罪の有りかたを指し示しつつ鷹ようで柔らかい視線を注ぐ。そこには幻想的ともいえる安らかさがある。しかし、著者は消えた。 「いつもお前は笑ってばかりいるな(本文)」とかつての仕事仲間に言われていた著者。きっと人間が持ち得る善で故人は存在していたのだろう。本書を通してそのことをうかがうことができる。ご冥福をお祈りいたします。 (2016年03月29日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
美しく、せつなく、正しい小説。 | ||
|
||
生きてれば或いは大作曲家になったかもしいせったくん。だが、大人になってすら文字を指で押さえながら本を読み、電車の乗り換えも危うい幼な子のようー。彼の人生を作家になった僕、私である親友島崎君が書き、語る。読み終え、人の正しさとは何かがわかったような気になる。 少年の頃より音楽を志す二人だが、僕は、才能に見切りをつけ道半ばプロを諦め、せったくんは家の事情で音楽の道を閉ざされることになる。だが、二人が音楽を愛することに変わりなく、二人の友情もまた同様である。せったくんの音楽的才能の豊かさを語るエピソードと邪さの微塵もない美しい人間性、彼に惹かれ自然に集まる人々の善たるものにふれ暖かな気持ちになる。 せったくんの純粋無垢さは後半に登場する津々見勘太郎の醜さとの対比で一層輝きを放つのだが・・・・。 美しい。切ない。という形容は本作に誰もがつける気する。だけど繰り返します。筆者はあえて正しいという言葉を使いたくなった。 (2015年06月13日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
とのさまのくせに1ねんせいになるのをいやがるな!すでに変−。 | ||
|
||
なぜ、とのさまが、今度1ねんせいになるのか?ひげを生やしてるのに、大きなお城を持っているのに、けらいもたくさんいるのに?さらに、このとのさま、あそび好き。お手玉、昆虫採集、けん玉などなどで毎日遊びふけっている、とのさまのくせに・・・。でも、このお話においてそれが、なぜ?とは、どんな読者も、ましてやこども読者はけしてしない。できない。そうなのだからしかたない−。とのさまは、あそびができなくなると思ったのだろう、1ねんせいになるのを嫌がる。けらいたちは、なんとかしてとのさまを説得しようとするのですが、とのさま、逃げる逃げる。逃げるのもとのさまにとっては追いかけっこにすぎないらしい。では、どうやってけらい達がそんなとのさまを1ねんせいになるように仕向けるか?そこがたまらなくおもしろく、この、あっけらかんとしたコミカルな様子を伝えるのはむずかしい・・・。1ねんせいに上がるとのさまのために、うわばき入れやぼうさいずきんという入学定番グッズに、けらいたちが「とのさま」という縫いこみをしたりする場面などおもしろすぎる。笑ってしまう。でも、全編通しておもしろすぎるから言い足りない思いでいっぱいになる。そもそも絵が笑える。笑える絵。というか、絵が笑ってる。なので、爆笑するには読むしかないわけです。 (2018年06月16日) | ||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
すごい。感動したよ!ー誰かに明るく話せる小説ではないにせよ。 | ||
|
||
中年にさしかかった語り手は偶然起こった出来事をきっかけに自分の青春の頃を「社会の数にカウントされてなかった(本文)」不甲斐ない若者として振り返る。彼は工場でベルコンに乗ったエクレアに向き合うだけの鬱屈とした日々を送る中、求人情報誌の文通欄を通じ一つ上の容貌のさえない女性と知り合う。二人は関係を持つが、それは読者には恋愛にはなぜか見えない。「好きな人ってなんなの?って思って生きてきた」と言う彼女の言葉は彼にとってとてもリアルだし、ラブホの浴槽に浸かりながら地球絶滅をため息混じりに願う彼女もまた主人公にとってリアルだと読める。彼女を好きになる彼にとっては、偽りのない本当の自分をさらけ出せる世界でただ一人の人間がその女性なのだ。社会に翻弄され不安でたまらない彼のそばには、そっけないが優しい彼女による慰めが常にある。はかなく寂しいこのラブストーリーは、語り手による自分自身への告白であり、だからこその正直さがある。憂いある青春ではある。だが、読者は安心して読み進めることができるようにも思う。それは若い彼を、恋愛よりも少し大きなもののように見える愛が支える姿が描かれているからだ。物語背景には小沢健二であるとか、WAVE(昔あったレコード店)であるとか、ホットドックプレス(雑誌)であるとか・・その時々の象徴的な固有名詞が全編に散らばっていて、当時を経験した年代が思いを馳せやすい仕かけもある。時の流れが人間の外見や社会的立場を変える一方で内面を変えることがないのなら、その真実はこの物語の中にあるかもしれない。 (2017年09月30日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
物語をつらぬく、本を読む人々のメンタリティー。 | ||
|
||
とある島に小さな本屋アイランドブックスがある。書店主の名前はフィィクリー。孤独であったはずの彼を“きっかけ”が広げるさまざまなかたちの小さな愛がいくつかのエピソードを持って絡まり、大きな愛の「波」としてを読者に伝える。淡々としたトーンの物語、それは読者の感受性に優しさを伝播するのだが、内容には「交通事故」「捨て子」「海への身投げ」「養女」・・・と社会における平凡ではない局面が存在している。繰り返すが、それにせよ物語は大きくは騒がない。淡々としている。登場人物たち誰もが、教養と知性とに優れた大人であるからだと思う。騒がしい出来事をも冷静に、しっかりと、受け止めることのできる力とでもいうか・・。そしてそれが物語のステージである書店、本というものの周辺に彼らが居るからではないのかと読者に想わせる。そして、人生の棘をも静かなものに置き換える上質なユーモアセンス。フィクリーと少女が運命的に結びつけられる流れは読者を感嘆させる。人生の時間が増すごとに哀愁もまた増えるとしても、それが必ずしも悪いものではないことを本書は語る。 (2016年11月22日) | ||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
ゆがんだ自意識が笑いを誘う。NY滞在の成長物語 !! | ||
|
||
主人公葉太は太宰治の『人間失格』主人公葉蔵に自分を照らし合わせてしまう青年。取り扱い不能なほどの自意識に常に翻弄され続けている。幼少時から他人に笑われたくないと、周囲に対して肥大する自我を守る演技に努めてきた。その背後には大御所作家である父の存在がある。父の存在が葉太に、自分の非力、不甲斐ないと感じる現実を思い知らしめる。そして自分自身を卑下する精神的な抑圧の中、大人になりきれない。そして、それが高じたはて、自意識の化身だろうか、亡霊が見えるようにもなるー。 初めて訪れたニューヨーク。しかし、彼が歩くと、日本人にとって快活でスリリングであろうニューヨークという街の魅力は自意識に投射され、葉太の内部で変形され、いびつにしか映らない。ニューヨークにいてニューヨークにいない。いてもいないニューヨーク。そんな感じだ。どこにいても自分しかいない。そこにはあるのはただ演技だけ。 以上の主人公のありようは、作家が無骨なスケッチのような文体≠ナ描くことで滑稽さを持ち、読者をとことん笑いに誘ってしまう。だが、読者を笑わせてくれる主人公のすっこけは、彼の持つ苦悩≠ニ並行して読まされることにもなる。そのうち、彼に対する読者の笑いは同情の方へとどんどん導かれてゆく。クライマックスは言語が通じず、知り合いもいない街ニューヨークで、全貴重品の入ったバッグを盗まれるというハプニングから起こる。29歳にして「自分」になりきれない主人公の節目。快作。 (2015年02月03日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
あわわわわと、泡を吹く読者。この色彩!イマジネーション!! | ||
|
||
ある日、あわこちゃんはいつものように朝、歯磨きをしている。と、すると、なぜだかいつもと違う現象が起きる!!なんと、あわこちゃんの口から歯をゴシゴシ磨いて出たあわが、マンガのセリフみたいな感じで溢れ飛び出してきてしまう・・・。ぶくぶくぶくぶと、それは広がり大きくなってゆき、街まで飛び出し、街を海のごとく覆ってしまう。さらにさらにと読者のイマジネーションを喜ばせる予想外の光景が展開される。まったくページをめくる手を止めてくれない。泡が海なら当然海につながっている。ほんものの海にあわに乗って出てしまうあわこちゃん。クジラがばったり!結末はここでは避けましょう。何よりこの作家(夫婦で二人でチームになって描いているらしい)の一番の特徴は色、だし、絵具のデコボコが見える筆致だし、セリフまでを筆で描くという絵本の隅々までにおよぶ作品の全体のようすだし、・・・まあ、読者の批評はどうでもいいとしひとまずおいても、読む人は、それぞれのことばを使ってこの作品をほめると思う。1ページごとが部屋に飾れるような完成度。少しむずかしく本書を語れば、絵本の要素、まるごと、を使っての表現(ことば、本そのものの大きさとカタチ、色、筆致、レイアウト、セリフ、物語構成・・・etc)が、これまでに触れたことのない新鮮さを持って読者を迎えてくれると思う。むずかしく言わなければ、あわこちゃんの口から飛び出して街に広がり海に同化するあわみたいにすごいのである。 (2018年04月20日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
偏愛ゆえにでいい。「草間彌生は、凄い。」と言いたい。 | ||
|
||
今や、自身の美術館すら持つ日本屈指のアーティスト草間。彼女は幼い頃より目の前に常時ドット(水玉)が見えるという強迫に苛まれ続けた。創作の根源にまずそれがあるー。本書は、そんな草間氏における、ニューヨークでの活動と名声を伝えるもので、作品、本人の写真、フライヤー、批評記事、当時を回顧する本人のコメント、文章などを収めるコンパクトなもの。時は、美術界のメジャーシーンがパリからニューヨークへと移る節目。戦後の暗い世相もあり、閉ざされた少女時代を過ごした彼女の胸にあったのは、遠い世界に住む人々との、作品を通じての心の交流への渇望であった。アメリカの有名女性画家との文通を機にして、取り分け保守的だった家柄で猛反対する母親を8年に渡り説得して出国。年齢28。ファンなら喜ばないはずはない貴重な一冊だと思うが、作品は知れど、若き草間氏の写真を見るのは初めてという読者は、今のクールさとは別な、タイトなかっこよさに打たれると思う。寝ても冷めてもアトリエで、「網目」「水玉」を描いていたために、それがキャンバスからはみ出し、家具や床、壁、そして自分の体にまでそれを描いてしまう。その過程で幾度も救急車に載せられ、病院から「また、あなたですか?」とあきれられたという。その他も興味深いエピソードが多く読める。彼女の個展に遊びにきたウォーホールが、「ワーオ、ヤヨイ、これ、なーに?」「素晴らしい」と叫び、その後、シルクスクリーンで刷ったポスターを天井や壁一面にびっしりと埋める作品を発表したくだり。彼の作品作法の一つである「常同反復」がどこから出てきたのか考えさせられる(草間氏は「(ウォーホールによる)真似だった」と語るが)。やがて表現は、時代に拮抗する政治色やタブーの解放という色合いを帯び、当時のニューヨークでブームとなった「ハプニング」でアメリカ社会における存在を決定的とするのだが、日本ではスキャンダラスなものとしてしか受け入れられない。まさに芸術家としての人生しかありえないだろうと思わせる草間氏の若き日の「生の格闘」の刻印。表紙に写る少女の面影を残す草間氏はなんらかの眩しいものに負けじと一点を見つめている。その先に今の草間彌生があるというわけか?しかし、本書は2011年に刊行されたにも関わらず未だ初刷のみ。つまり、日本ではまだまだ草間彌生はゲテモノ扱いなのである。 (2018年04月14日) |
||
![]() |
|
|
商品詳細画面へ | ||
![]() |
||
スマートでポップな文学論+α。と、「深読み」する。 | ||
|
||
近代文学を中心とした日本文学論。ポップな感覚でスパスパと作家と作品が論じられる。日本文学の母胎を『源氏物語』として、本書の深読みは始まる。光源氏を「天皇に見立てる」宗教学者中沢新一の読みを援用し、それは藤原氏による政治戦略であり、はては 〜『源氏物語』は天皇のためのポルノグラフィーであったとも言えるでしょう(p28)〜。と・・。まあ、言いきり?ザッと食い荒らすと、『枕草子』は「ガールズトーク(本文)」。樋口一葉は自由民権運動の最中フィクションの中で社会的弱者を解放した作家。漱石など近代文学作家達の作品は、日本の近代化において「自我と超自我が苦闘した歴史」であり(ちなみに村上春樹の「超自我」に当たるものはアメリカだとする)、ライトノベルのキャラクターと「西鶴、近松などの江戸時代の本の挿絵」に類似性を見、世界に愛される谷崎潤一郎にいたっては、冒頭の『源氏物語』から日本文化に通底してゆく「色好み(本文)を西洋的解釈で作品に昇華した圧倒的なスケベ(本文)」となる。また、『日本風景論』『代表的日本人』『武士道』『茶の本』が近代国家成立に不可欠なナショナリズムの土台となったとか(ナショナリズム=人類の麻疹というアインシュタインの言葉もサラリとふりかけてる・・)、疑念なく中上健次が近代文学を終わらせたとバシリ!と決める。あまりの豪速球に熱心ではない読者のミットにも収まる。さらに、現代文学の世代間確執という主題を「父親殺し」と表現したりと、とにかく過激にせよわかりやすい。シニカルとユーモアが混じる軽快なトーンが説得力を持ち「文学」を伝える。もろもろと書き出してもしかたがないのだが、最後に『農業革命』『産業革命』に次ぐ、人類の歴史における第三の革命である(らしい)『情報革命』の中でどんな文学が生まれてゆくか?人工知能と人間の対峙は?という点まで行き、本書は終わる。終わるのだが、本書を読み終え「あれれ・・」と思ったのは、本書が文学論でありながら、日本を主題とする「エッセイ」という印象があることで、そういう角度で本書を見渡せば、日本の「文化」「伝統」「国際的位置」「社会構造」などが、著者視点でスパスパなのである。ポップ表現と知性の間柄が本書でなんとなくだが分かる。 (2018年03月23日) | ||
![]() |
掲載レビュー全106件 |
このページのトップへ |