昏い時代の読書 宮嶋資夫から野坂昭如へ
講談社選書メチエ 828
| 出版社名 | 講談社 |
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| 出版年月 | 2025年8月 |
| ISBNコード |
978-4-06-540667-0
(4-06-540667-6) |
| 税込価格 | 2,420円 |
| 頁数・縦 | 266P 19cm |
商品内容
| 要旨 |
太宰は「人間がだめになった」と呟き、安吾は堕落を呼びかけ、瓦礫の上で野坂昭如は哄笑し続けた。大正・昭和・平成の時代にわたって、どうしようもなく救いを求め、作品のうちにつかの間それを浮かび上がらせることに成功しながらも、容赦ない現実に敗れ去った五人の作家の軌跡。彼らの挫折は、令和の社会の絶望を先取りするものだった。ルールも理性も足元から崩れていく世界の片隅で、それでも、ものを書き、読むことの意味とは?希望なき時代の読書のすすめ。 |
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| 目次 |
1 死に憑かれて―宮嶋資夫というヤマイヌ(「山犬」 |



出版社・メーカーコメント
美は、世界が滅びゆくこと自体のうちにのみ生まれる−−。宮嶋資夫、太宰治、坂口安吾、桐山襲、野坂昭如。大正・昭和・平成の時代にわたるこの5人の作家は、どうしようもなく救いを求め、作品のうちにつかの間それを浮かび上がらせることに成功しながらも、現実の前に敗れ去った。それぞれが求めた救いの姿と、その挫折を作品の紹介を通して描き出す。「人間がだめになったんですよ。(…)そんな時代になったんですよ」(太宰治)。遠くかすかに響く祈りの声に耳を澄ませつつ頁を繰る、希望なき時代の読書のすすめ。理不尽と暴力に満ちた労働文学の旗手として登場し最後には仏門に消えた宮嶋資夫(1886−1951年)、ユートピアと現実のはざまで立ち尽くす「弱法師」太宰治(1909−48年)、堕落を呼びかけながら、生の原点「ふるさと」を希求した坂口安吾(1906−55年)、戦後訪れた政治の季節に体制への反逆と絶望のはざまでもがきつづけた桐山襲(1949−92年)、高度経済成長のさなかトリックスターの身振りでディストピアを描き続けた野坂昭如(1930−2015年)。大正から平成にかけて筆を執った5人の作家は、それぞれに救済を求め、作品のなかにそれを浮かび上がらせながらも、容赦ない現実の前に敗北した。 彼らの挫折は、令和の時代に明らかになりつつある社会の絶望を先取りするものでもあった。彼らが必死に手を伸ばし、しかしついに届くことがかなわなかった救いとは、どのようなものだったのか。有名無名問わず作品が紹介されるなかで、呪詛にも似た祈りの声がかすかに漏れ聞こえてくる。 昏い時代にものを書き、そして読むことの意味を鋭く問いかける空前絶後の文学案内。【本書の内容】はじめに−−終わりなき終焉を見つめて1 死に憑かれて−−宮嶋資夫というヤマイヌ2 無何有の明滅−−太宰治という掟破り3 タブラ・ラサにたたずむ−−坂口安吾という「ふるさと」4 瞑さのアナーキズム−−桐山襲という「違う世界」5 ディストピアの妄想−−野坂昭如という廃墟おわりに−−現実忌避に向けてあとがき