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長崎書店のレビュー |
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掲載レビュー全693件 |
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地上の現象はすべて一つの比喩である。 | ||
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どの子どもでも、まだその秘密の中にいる間は、心の中で絶えず、唯一の重大なこと、すなわち自分自身のことと、自己と周囲の世界との不思議な関係とを考えているのである。 探求者や賢者は、円熟の年齢とともにこの考察にもどってくるが、大多数のものは、真に重要なものに関係するこの内面の世界を、すでに早く永久に忘れ、離れ、終生、心労と願望と目的との目まぐるしい迷路をさまよいまわる。 しかし、そういうもののどれ一つとして、彼らの内心に宿ってはおらず、彼らの内心へ、彼らの家へ彼らを連れもどすことはけっしてない。(本文より) 大人になってもこどものような笑顔を持っている人は、きっとこのような自分自身について、周囲と世界についての不思議な関係のことを心の中で保っている人なのでしょう。 (2010年01月23日) |
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神よりしあわせになる | ||
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もしも批判的になりそうな自分を感じたら、いつか自分も人生で同じように行動したことがなかったか、どこかで同じようなことをしでかさなかったか、どうしてそんな過ちをしたのか、とふり返ってみる。すると同じだという思いがあふれて、批判はどこかへ押しやられる―非難することなど不可能になる。 わたしがここで言っているのは、愛する心には批判が忍びこむ場所はない、ということだ。 だが、忘れないでほしい。批判は識別とは違うし、観察も批判とは違う。 識別することはとても健康なことだし、観察するのも完璧に自然なことだ。 「観察」とは「これはこうだ」と言うことだ。批判とは「だからどうだ」と言うことである。(本文より) 生きているなかで、観察と批判、この区別がつかなくなってしまうことがよくあります。観察とは今、目の前にあることを見つめることです。 「今、目の前を犬が歩いている」 それに対し、批判とは、自分の過去の経験、自分の思いつき、自分自身の「物語」をそれに重ね合わせて判断をすることです。 「私は昔、犬に噛まれたことがある。だからこの犬も私を噛むに違いない。犬って本当に最悪だ」となるわけです。 批判をするのをやめると、新しいことにたくさん気づけるようになるでしょう。 「犬ってよく見たらかわいいな。以前、私が噛まれたのは私が犬にいたずらしようとしたからかもしれない。今度は優しく触ってみよう」「ワン、ワン♪」 批判をしなくなると、人生はハッピーになっていきます。こころの持ち方しだいで、神より幸せになることもできるし、悪魔より不幸になることもできるのですね。 私たちの歩く道が暗闇のように見えるときでも、うつむいて歩けば足もとに咲いているたくさんの花に気づくことができるし、上を見上げれば空に輝く満天の星たちに気づくことができます。暗闇とは、「何もない」ということではありません。「今はただ見えない」というだけです。 暗闇とは宝物を隠しているベールのことであり、その宝物は本当はいつも私たちの手の中にあるのです。批判をすることがそのベールであり、私たちの目を見えなくしてしまう大きな原因のひとつです。 そのベールから漏れる光に、私たちが気づくことができますように。 (2010年01月18日) |
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愛には限界がありません。 | ||
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愛には限界がありません。 神は愛であり、愛は神だからです。 ですから、あなたがほんとうに神の愛のうちにいるなら、神の愛は無限なのです。 だからこそ、こう言うのです。 どれだけたくさんのことをするかが問題なのではなく、どれだけたくさんの愛をその行為にこめるかが大切なのです。(本文より) 大きな愛を持って小さなことを心をこめてすること。 とっても大切なことだと思います。 マザーテレサの言葉はいつもこのことを教えてくれます。 (2010年01月18日) |
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風邪自体が治癒行為 | ||
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風邪は治すものではなく、経過するものという考え方は、初めて読んだときはびっくりするものでした。 だって風邪を引いたら治さなければならない、というのがそれまでの私の常識であったからです。 一般に風邪薬とは、風邪の諸症状をおさえるための薬で、「風邪を治す」ための薬はないと言われています。 なので強い薬を飲みすぎるとかえって症状が長引いたり悪化したりしてしまいます。 風邪は万病の元とも言われているように、こじらせると大きな病気にもつながりますが、うまく経過させるとゆがみが軽減され、元より元気になることができるのですね。 私も治そうとはせず、経過させるようにがんばりたいです。(がんばりすぎないようにがんばります) (2010年01月18日) |
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幸せは永遠の中にのみ存在する。 | ||
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過去はすでに死んだものであり、 そして未来は頭の中の想像にすぎない。 幸せは永遠の中にのみ存在する。 永遠の今という瞬間の中だけに。 ―ケン・ケイエス・ジュニア 過去は変えられないものであり、未来はまだ起こってもいない想像のなかのものです。 そのふたつを確実に結びつけるのは今であり、この「永遠の今」しか本当は存在していません。 幸せになるただ一つの方法は、「私が今、幸せ」だと感じることです。 「いつか私は幸せになる」のでも、「あの時私は幸せだった」でもなく、「私は今、幸せ」、それだけです。 (2010年01月18日) |
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本当は、深海魚は海のことを知らないのです。 | ||
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海の中に住んでいる深海魚が海を知らないなんて、とってもおかしなタイトルですよね。 この本には「哲学の扉をひらく20のレッスン」という副題がついています。 「存在とは何か」ということを追究した本です。 (2010年01月18日) |
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心は最良の友であり最大の敵である | ||
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バガヴァッド・ギーターは、インド古典中もっとも有名で、聖書に次いで世界で2番目の発行部数を持つ書物だともいわれています。 叙事詩マハーバーラタの一部であり、サンスクリットで書かれた詩編です。 大戦争の戦場というもっとも過酷な状況を舞台に、尊主クリシュナがアルジェナに語る永遠の真理が書かれています。 他にも何冊か出ていますが、私が読んだなかではこの本が一番読みやすかったので、初めて読む方にはおすすめです。 (2010年01月18日) |
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あなたは、あなたであるだけで完全な存在なのです。 | ||
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魂の声に耳を傾け、感じたままに生きることによって、 自分に対して自信がもてるようになり、不安がなくなります。 とはいえ、それは意味もなく「私は素晴らしい人間だ」と自信過剰に陥ることではありません。 どちらかと言えば、解放感に近い感覚。もうひとりでなにもかもする必要がないことがわかった安堵と言ってもいいでしょう。(本文より) ほんとうの自分になっていくということは、より自由になっていくということ。 なぜなら、ほんとうの自分は果てしなく自由だからです。 もし、スピリチュアルになるために、絶対に何かをしなければならない、瞑想を何時間しなければならない、断食をしなければならないと思っているとしたら、それは自由とは反対の方向に向かうことです。 何かをしなければならないことは何もありません。 反対に自由になればなるほど、瞑想も断食も、その他のスピリチュアルな行為も自然にしたくなる自分に気づいていくでしょう。 人は自然に愛へ近づいていく性質を持っています。 しなければならないことは、その道の途中にある障害物を取り除いていくだけ。 ただ自由になっていくという、それだけです。 自分を解放することは、心の開放であり、それがあなたにとっての神さまからの快報(うれしいしらせ)となるでしょう。 想像できる最高の自分を創造していけることの幸せ、いつもこの場所でかみ締めていきましょう。 (2010年01月18日) |
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流れに乗ったとき、その流れそのものがあなたなのです。 | ||
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なぜ私たちは三次元に生きているのでしょうか。それは身体の感覚が必要だからです。 制約を求めて三次元にきたのではありません。高次元には感覚がありません。あっても、極めて薄いのです。高次元では感覚が薄くて、深い味わいができません。 でも、制約が多い三次元に、わざわざ苦労という修行のために生まれてきたのでしょうか?経験を蓄積するために生まれてきたのでしょうか? 違います。三次元の肉体が時間の流れを味わうために生まれてきたのです。 それはここでしかできないことです。味わうために私たちは生まれてきました。 喜びも幸せも悲しみも苦しみだって、全身で味わうことのできるこの世界は、どんなにすばらしいでしょう。(本文より) 感覚をなくしていくことが成長することではありません。 より深く大きな味わいを体験できることが成長のすばらしいところです。 悟った人は何も感じなくなるのではなく、誰よりもたくさんのことを感じることができる人なのでしょう。 すべてを感じることができることに、今日も心から感謝します。 (2010年01月18日) |
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聖夜、ピンクのブタが奇跡を起こす。 | ||
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エーリカは、ただそこにいるだけで、魔法をかけるのに成功した。 あのように温和なまなざしと、あれだけふれられる柔らかな部分を持ったあの大きさのブタが、真夜中のミサで説教する人たち全員かかってできるより多くの平和をこの地上にもたらし、人々に喜びを与えたのだ。 (本文より) 人に何かを与えるとき、それは目に見えるもの、耳で聞こえるものだけとはかぎりません。 あるいは、それ以外のものの方がたくさんのことを与えることができるでしょう。 そうやって受け取るものは「感じる」ということによって、私たちのこころに響いてきます。 誰かと一緒にいて、こころがほっと安らぐとき、言葉以上の感情をその人から受け取っているのです。 そのような「沈黙の愛のうた」は誰もが発しているものです。 その「うた」を感じるのが私は大好きです。 エーリカがもしそばにいたら、一緒にうたを感じたいなぁって思います。 あなたはどんなうたを感じていますか? (2010年01月18日) |
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あなたの隣人を破壊することは、あなた自身を破壊することです。 | ||
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2006年11月、広島に、ダライ・ラマ14世法王、デズモンド・ツツ大主教、ベティ・ウィリアムズ女史の3人のノーベル平和賞受賞者を迎え、「人の未来を考える」をテーマに、市民と語り合うオープンサミット、広島国際平和会議2006が開催されました。 この本は、3人による各講演とシンポジウムでの発言をもとに再構成されたものです。 自分を癒す方法、それは他者に癒しを与えることです。 そして同時に、自分が癒されていなければ、他者を癒すこともできません。 というのも、癒しというのは自分と他者、いつも同時に起きるものだからです。 誰かに何かを教えるとき、自分自身がいちばん教えられているでしょう。 誰かを心からゆるすとき、ゆるせなかった自分をいちばんゆるせているでしょう。 誰かに助けを差し伸べるとき、自分自身がその行為によって助けられているでしょう。 誰かを魂の底から愛するとき、そこまで人を愛することのできる自分自身をいちばん愛することができるでしょう。 どうぞ自分のなかのいちばん小さな世界からはじめてください。 自分の心のなかからいつも平和の種は生まれます。 その芽を大事に大事に育てていけますように。 満開に咲いた花はきっと、たくさんの人の笑顔の花を咲かせるでしょう。 (2010年01月18日) |
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シャーマニズムの核心 | ||
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「戦士の謙虚さと乞食の謙虚さはちがうものだ。 戦士はだれにも頭をさげたりはしないが、同時に、誰かが自分に向かって頭をさげることも許さない。 それに反して乞食は、自分より上の者だと思えば相手が誰だろうと、待っていましたとばかりにひざまずいて床をきれいにしたりする。 しかも同時に、そいつは、相手が自分より下の者だと、自分のために床をきれいにしろと要求したりもするのだ。」(本文より) 真の謙虚さとは、自分を必要以上に低く見せようとするものではなく、自分自身の価値も知りながら相手の価値もしっかりと認めることです。 そこには自分が相手より上か下かという考え方は存在しません。 相手と自分を同時に祝福すること、それが本当の意味で、謙虚であるということです。 「私はすばらしくて、あなたはダメだ」でも、「私はダメで、あなたはすばらしい」でもなくて、「私もあなたも本当にすばらしい」ということです。 (2010年01月18日) |
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バイオテクノロジーの世界的権威がたどり着いた究極の知恵 | ||
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著者の村上和雄さんは、世界に先がけ、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功し、一躍世界的な業績として注目を集められた方です。現在ノーベル賞の有力候補とされる注目の人で、最先端の遺伝子工学の研究から、「感性と遺伝子は繋がっている」ことを究明されました。想像をはるかに超える人間の持つ偉大な可能性を開花させる「眠れる遺伝子の目覚めさせ方・考え方」を解き明かし、科学に身を置きながら、哲学、宗教、宇宙観をも包み込む独自の世界観を展開されています。 この本の中で、村上さんは、こざかしい利口者よりは真っ直ぐなアホになれとおっしゃっています。 「正直で勤勉で一徹で、どこか抜けているお人よし。知識や学問は少ないが、コツコツと自分の信じる道を地道に歩み、手間や回り道を惜しまない。時代遅れで融通もきかず、利にも疎いが、ゆったりかまえて、焦らず、屈せず、くさらず。 「おれが、おれが」でなく、「アフター・ユー(お先にどうぞ)」の精神をもち、頭は悪いが心は豊かで、わずかなことで満足できる。あるいは、そんなに立派ではなくても、単純で感激屋で、人を楽しませるのが好きで怖さ知らず。おっちょこちょいで根拠のない自信にあふれていて、能天気でよく笑い、失敗を恐れない。ムダ話や寄り道が多く、いばらず、かざらず、かっこつけない。信じやすいがものごとを決めつけず、忘れっぽいがあきらめない。そのせいで、「アホやなあ」「バカだなあ」、そう人からあきれられ、愛されもする人。フーテンの寅さんみたいな、愚かという「徳」をもった人。 そういう人が神からも好かれ、利口な人より時間はかかっても、大きな幸せを手に入れることができるのだと思います。最後には、カメがウサギを追い抜くように、バカは利口を超えるところがあります。利口とは、ある範囲内において限界まで届く知性のことですが、バカやアホというのは、その限界をあっさり超えてしまうことがしばしばあるからです。そういう、こざかしい理屈や常識の枠を超える「大きな愚かさ」。 鈍いけれども深い生き方。その復権が、いまこそ必要なのではないでしょうか。」(本文より) (2010年01月18日) |
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真我が知られないとき世界は現れる | ||
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アシュターヴァクラ・ギーターとは、誰によって、いつ書かれたかは定かではないが時を経て愛され、読みつがれてきた聖典のことです。このような聖典に共通することですが、一見読んだだけでは意味がよくわからない言葉が多いです。でもその言葉を一生懸命見つめていると(感じようとしてみると)、何かが心の奥に芽生えるのを感じます。 そうしてもう一度読んでみると、すんなりと意味が理解できるのです(そうでないときもありますが)。 知るものと知られるものをわけるとき、世界はふたつにわかれます。 自分の手について知ろうとしたら、自分というものが「自分」と「手」にわかれるのです。世界を細分してわけていくこと、これが今までの人間の科学でした。世界を最小まで分析していくと世界の仕組みがわかると人は考えましたが、そうではありませんでした。むしろ分析するほど、わからないことが次から次へと出てくるのです。 いま必要なのは、ばらばらになったものをひとつにしていくこと。 人間を、手や、足や、胴や、細かくわけていくことじゃなくて、ひとつの「生命」であると知ること。そういう時代になってきているのだと思います。 「真我が知られないとき世界は現れる 真我が知られれば世界は現れない」 自分を本当に知ったとき、自分が世界そのものだとわかる(世界は消える)。 自分を知らないでいるとき、自分と世界はいつまでも分離し続ける(世界は現れる)。 (2010年01月18日) |
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真実はあなたを自由にするだろう。 | ||
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内にある聖なるスピリットはあなたを守ってくれるけど 決して差し出がましいことはしません。 警告してくれるけれど介入はしません。 導くけれど押し付けはしません。 そしてどこまでも忍耐強くあなたを待つでしょう。(本文より) 直観は、私たちにひらめきを与えてくれるけれど、行動するかどうかは私たちにまかせられています。そしてこのひらめきは、静かなみずうみに起こるわずかな波紋のようなものです。大荒れの海に小石を投げ込んでも、波紋はたちまちかき消され、それに気づくことはできないでしょう。波紋(直観)を感じたかったら、心の中を静かにしておく必要があるのです。 心を波立たせるもの、それは怒り、嫉妬、怖れなどです。 心を静かにさせるもの、それは喜び、幸せ、愛などです。 あなたの世界にはどんな風景が広がっていますか? そこに愛の風景がありますように。 (2010年01月18日) |
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自分の心の中をのぞいてみてごらん。 | ||
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ホワイトウルフとは、人々に現代を生きる知恵を授ける、高次元のスピリチュアルな存在のことです。北米大陸の雄大な大自然の中で生きてきたアメリカ・インディアンの人々は、古老やシャーマンを通して自然界のスピリットから様々な導きや教えを受け取り、過酷な自然の原野を生き抜いてきました。この本の中の言葉もまた同様に、高次元存在のホワイトウルフ・スピリットから、現代に生きる私たちのためにもたらされたものです。(本文より) すべては自分しだい・・・でも、それは自分に世界の全責任があるという意味合いではなく、自分で好きなように自由に世界を創造できるということ。私たちは、苦しみも、喜びも、自分で創造することができます。苦しみや喜びの中にこそ祝福があることを、ほんとうの自分は知っているから。 天国には「ゆるす」という言葉がないことを知っていますか?なぜなら、天国には誰かを「憎む」とか「責める」という感情も存在しないからです。つまり「ゆるす」という行為は、この地上でしか体験することができないのです。 それは、いま、ここに、すべてのものがそろっているから。だからそのなかから自分が体験したいことを選んで、魂の底から味わうことができるのです。 空腹感を体験したことがなければ、満腹感も体験することはできないでしょう。暗いを体験したことがなければ、明るいも体験することはできないでしょう。憎むを体験したことがなければ、ゆるすも体験することはできないでしょう。 天国から来た人は、きっとこう言うでしょう。 「ここはなんてすばらしいところだろう。私たちのところには決してないものが、ここには何でも存在している。私たちが当たり前のように知っている幸せも喜びも、ここではこんなにはっきりと感動的に感じることができるのか!すべてを感じることができるってすばらしい!生きるって本当にすばらしい!」 そしてこれは、あなたがこの世界にやってきたときに、はじめて言った言葉でもあるのです。いまはもう忘れているかもしれないけれど。 (2010年01月18日) |
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難題の有る人生は、“有難い”人生 | ||
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著者の斉藤里恵さんは幼少時の病気が原因で聴力を完全に失いました。 聴覚障害に端を発したトラブルなどからしだいに落ちこぼれ、酒、タバコ、盗みとおきまりの転落コースをたどった彼女が見つけた生き抜くための職業は、“筆談を駆使した”ホステスの仕事でした。かたわらに常備したメモ帳とペンを使った筆談での接客は、お客さんの心をつかみ、いつしか「筆談ホステス」と呼ばれるようになりました。 そんな里恵さんの“紙とペンを使った接客だからこそできる繊細な表現”や、“お客さんたちとの筆談のやり取りの中で実際に登場した名言集”は愛の言葉のシャワーとなりすべての人々に癒しを届けます。彼女が培った独自のコミュニケーション術はこのギスギスした時代にいちばん必要とされるスキルのはずです。 「難題の無い人生は、“無難”な人生。 難題の有る人生は、“有難い”人生」 「“涙”を止めれば、また笑顔に“戻”れます。 “泣く”のを止めれば、“立ち”あがって前に進めます」 「隣に誰かがいるだけで、“憂い”は“優しさ”に変わります」 「自分は失敗しない。 なぜなら成功するまでやめないからだ」 (2010年01月18日) |
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「運は自分が作り出すものだってわかったんだ」 | ||
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ジョージ・エリオット 「なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはない。」 アイルトン・セナ 「この世に生を受けたこと、それが最大のチャンスじゃないか。」 ヘレン・ケラー 「元気を出しなさい。今日の失敗ではなく、明日訪れるかもしれない成功について考えるのです。」 ジョン・レノン 「きみはどこへでも行けるのに、どうしてそんなところにとどまっているんだい?」 オルダス・ハクスリー 「やりかたやハウツーなんてない。 ただ愛することによってしか、愛し方なんてわからないんだ。」 いかがでしょうか。何か心に響く言葉がありましたか? 言葉というのは、そのときの精神状態や雰囲気、体調などで、いくらでも受け取り方が違うものです。だから、あなたにとって本当に心に響いた言葉があったとしたら、それが「おはよう」や「ありがとう」「ごめんね」だったとしても、それがあなたにとっての心の名言(たいせつな言葉)になるのだと思います。 人生は私たちが思っているよりも、100倍も自由で、1000倍も愛にあふれています。 ときには、苦しむことだって、辛いことだって、たくさんたくさんあるでしょう。 そういうとき、あなただけの名言をいつも思い出してください。 (2010年01月18日) |
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意識を変化させること、つまり目覚めさせること。 | ||
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あなたが思っているあなたが、実は本当のあなたではないとわかったとき、本当のあなたが誰なのかがわかりはじめます。つまり、あなたを本当に知るために、あなたではないものを最初に見つけるのです。 夢を見ているときは、眠っている本人はそれが夢だとはわからないでしょう。夢から覚めたとき(夢ではないものを見たとき)、それが夢だったとわかるのです。 この世界のすべてはそんなふうにできています。健康が何かを知るために、健康ではない状態(病気)があり、本当の幸せを知るために、幸せではない状態(不満)があります。そしてそのすべては、「本当の自分を知るため」につながっているのです。 <「真理」はあなた自身と切り離せない。そう、あなたが「真理」なのだ。 よそに真理を探していたら、きっとだまされ続ける。あなたという「存在」、それが「真理」だ。イエスはこのことを、「私が道であり、真理であり、生命です」という言葉で伝えようとした。イエスのこの言葉は最も力強く、最も直接的に「真理」を示した。ただし正確に理解されればであって、誤解されるととんでもない障害になる。 イエスの言葉は最も内なる「私という存在」、すべての男女、それどころかすべての生きとし生けるもののアイデンティティの核心を意味している。>(本文より) 思考で本当の自分について考えることはできますが、その「考えていること」は本当の自分ではありません。その「考えていること」を見つめている自分が本当の自分です。 光に照らされているものが光なのではなく、それを照らしているものが光です。 光に反射したものを私たちは見ることができますが、光そのものは見えません。 だから反射したもの(照らされたもの)が本当の自分だと思ってしまうのです。 しかしそれは、私という存在(本当の自分)を知るためにこそあるものです。 (2010年01月18日) |
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マンチーから学んだ幸せになる秘訣。 | ||
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犬って、いつも幸せそうにしていると思いませんか? その理由がこの中に書いてあります。 犬のマンチーが教えてくれる「いまを生きる」ための秘訣です。 「愛されたいなら、まず愛そう マンチーは、私の車がガレージに入るのが聞こえると、何をやっていてもすぐ投げ出し、私に会いに怒涛のごとく走ってくる。 ほえるのも叫ぶのもいっしょくたになるし、あんまり必死にしっぽを振るから、ガレージじゅうの床を毛皮のお尻でふきまくってしまう。おまけにおシッコまでちびっちゃう。マンチーは『うれしくって胸がはりさけそう』っていう言葉の本当の意味を教えてくれる。マンチーは、私がどれだけ家をあけていても、帰ってくると必ず心から迎えてくれる。長いあいだ留守にして帰ってきても、でんとすわって腕組みし、斜にかまえて待っていて、「私たちの関係のこと、どれだけ真剣に考えているのか、うかがいたいと思うんですけど」なんて言ったりはしない。マンチーは、ただ私に会えたことがうれしくて、それをちゃんと表現してくれるんだ。」(本文より) 私たちは頭が「良」過ぎるために、かえってその頭によって、がんじがらめに縛られてしまうことがあります。いろんな思いに心を奪われて、「いまに生きる」ことを忘れてしまうのです。いまに生きることを忘れてしまったときは、すばらしい先生がいつもそばにいます。いまを生きている達人、動物や赤ちゃんや子供からそのことを教えてもらったらいいのです。彼らは教えてくれるでしょう。 もちろん、それを教えることで自分に得になるかとか、未来にお返しが期待できるかなんて考えません。彼らは、「いま」に生きているのだから。 (2010年01月18日) |
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