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長崎書店のレビュー |
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掲載レビュー全683件 |
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あなたの隣人を破壊することは、あなた自身を破壊することです。 | ||
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2006年11月、広島に、ダライ・ラマ14世法王、デズモンド・ツツ大主教、ベティ・ウィリアムズ女史の3人のノーベル平和賞受賞者を迎え、「人の未来を考える」をテーマに、市民と語り合うオープンサミット、広島国際平和会議2006が開催されました。 この本は、3人による各講演とシンポジウムでの発言をもとに再構成されたものです。 自分を癒す方法、それは他者に癒しを与えることです。 そして同時に、自分が癒されていなければ、他者を癒すこともできません。 というのも、癒しというのは自分と他者、いつも同時に起きるものだからです。 誰かに何かを教えるとき、自分自身がいちばん教えられているでしょう。 誰かを心からゆるすとき、ゆるせなかった自分をいちばんゆるせているでしょう。 誰かに助けを差し伸べるとき、自分自身がその行為によって助けられているでしょう。 誰かを魂の底から愛するとき、そこまで人を愛することのできる自分自身をいちばん愛することができるでしょう。 どうぞ自分のなかのいちばん小さな世界からはじめてください。 自分の心のなかからいつも平和の種は生まれます。 その芽を大事に大事に育てていけますように。 満開に咲いた花はきっと、たくさんの人の笑顔の花を咲かせるでしょう。 (2010年01月18日) |
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シャーマニズムの核心 | ||
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「戦士の謙虚さと乞食の謙虚さはちがうものだ。 戦士はだれにも頭をさげたりはしないが、同時に、誰かが自分に向かって頭をさげることも許さない。 それに反して乞食は、自分より上の者だと思えば相手が誰だろうと、待っていましたとばかりにひざまずいて床をきれいにしたりする。 しかも同時に、そいつは、相手が自分より下の者だと、自分のために床をきれいにしろと要求したりもするのだ。」(本文より) 真の謙虚さとは、自分を必要以上に低く見せようとするものではなく、自分自身の価値も知りながら相手の価値もしっかりと認めることです。 そこには自分が相手より上か下かという考え方は存在しません。 相手と自分を同時に祝福すること、それが本当の意味で、謙虚であるということです。 「私はすばらしくて、あなたはダメだ」でも、「私はダメで、あなたはすばらしい」でもなくて、「私もあなたも本当にすばらしい」ということです。 (2010年01月18日) |
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バイオテクノロジーの世界的権威がたどり着いた究極の知恵 | ||
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著者の村上和雄さんは、世界に先がけ、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功し、一躍世界的な業績として注目を集められた方です。現在ノーベル賞の有力候補とされる注目の人で、最先端の遺伝子工学の研究から、「感性と遺伝子は繋がっている」ことを究明されました。想像をはるかに超える人間の持つ偉大な可能性を開花させる「眠れる遺伝子の目覚めさせ方・考え方」を解き明かし、科学に身を置きながら、哲学、宗教、宇宙観をも包み込む独自の世界観を展開されています。 この本の中で、村上さんは、こざかしい利口者よりは真っ直ぐなアホになれとおっしゃっています。 「正直で勤勉で一徹で、どこか抜けているお人よし。知識や学問は少ないが、コツコツと自分の信じる道を地道に歩み、手間や回り道を惜しまない。時代遅れで融通もきかず、利にも疎いが、ゆったりかまえて、焦らず、屈せず、くさらず。 「おれが、おれが」でなく、「アフター・ユー(お先にどうぞ)」の精神をもち、頭は悪いが心は豊かで、わずかなことで満足できる。あるいは、そんなに立派ではなくても、単純で感激屋で、人を楽しませるのが好きで怖さ知らず。おっちょこちょいで根拠のない自信にあふれていて、能天気でよく笑い、失敗を恐れない。ムダ話や寄り道が多く、いばらず、かざらず、かっこつけない。信じやすいがものごとを決めつけず、忘れっぽいがあきらめない。そのせいで、「アホやなあ」「バカだなあ」、そう人からあきれられ、愛されもする人。フーテンの寅さんみたいな、愚かという「徳」をもった人。 そういう人が神からも好かれ、利口な人より時間はかかっても、大きな幸せを手に入れることができるのだと思います。最後には、カメがウサギを追い抜くように、バカは利口を超えるところがあります。利口とは、ある範囲内において限界まで届く知性のことですが、バカやアホというのは、その限界をあっさり超えてしまうことがしばしばあるからです。そういう、こざかしい理屈や常識の枠を超える「大きな愚かさ」。 鈍いけれども深い生き方。その復権が、いまこそ必要なのではないでしょうか。」(本文より) (2010年01月18日) |
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真我が知られないとき世界は現れる | ||
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アシュターヴァクラ・ギーターとは、誰によって、いつ書かれたかは定かではないが時を経て愛され、読みつがれてきた聖典のことです。このような聖典に共通することですが、一見読んだだけでは意味がよくわからない言葉が多いです。でもその言葉を一生懸命見つめていると(感じようとしてみると)、何かが心の奥に芽生えるのを感じます。 そうしてもう一度読んでみると、すんなりと意味が理解できるのです(そうでないときもありますが)。 知るものと知られるものをわけるとき、世界はふたつにわかれます。 自分の手について知ろうとしたら、自分というものが「自分」と「手」にわかれるのです。世界を細分してわけていくこと、これが今までの人間の科学でした。世界を最小まで分析していくと世界の仕組みがわかると人は考えましたが、そうではありませんでした。むしろ分析するほど、わからないことが次から次へと出てくるのです。 いま必要なのは、ばらばらになったものをひとつにしていくこと。 人間を、手や、足や、胴や、細かくわけていくことじゃなくて、ひとつの「生命」であると知ること。そういう時代になってきているのだと思います。 「真我が知られないとき世界は現れる 真我が知られれば世界は現れない」 自分を本当に知ったとき、自分が世界そのものだとわかる(世界は消える)。 自分を知らないでいるとき、自分と世界はいつまでも分離し続ける(世界は現れる)。 (2010年01月18日) |
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真実はあなたを自由にするだろう。 | ||
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内にある聖なるスピリットはあなたを守ってくれるけど 決して差し出がましいことはしません。 警告してくれるけれど介入はしません。 導くけれど押し付けはしません。 そしてどこまでも忍耐強くあなたを待つでしょう。(本文より) 直観は、私たちにひらめきを与えてくれるけれど、行動するかどうかは私たちにまかせられています。そしてこのひらめきは、静かなみずうみに起こるわずかな波紋のようなものです。大荒れの海に小石を投げ込んでも、波紋はたちまちかき消され、それに気づくことはできないでしょう。波紋(直観)を感じたかったら、心の中を静かにしておく必要があるのです。 心を波立たせるもの、それは怒り、嫉妬、怖れなどです。 心を静かにさせるもの、それは喜び、幸せ、愛などです。 あなたの世界にはどんな風景が広がっていますか? そこに愛の風景がありますように。 (2010年01月18日) |
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自分の心の中をのぞいてみてごらん。 | ||
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ホワイトウルフとは、人々に現代を生きる知恵を授ける、高次元のスピリチュアルな存在のことです。北米大陸の雄大な大自然の中で生きてきたアメリカ・インディアンの人々は、古老やシャーマンを通して自然界のスピリットから様々な導きや教えを受け取り、過酷な自然の原野を生き抜いてきました。この本の中の言葉もまた同様に、高次元存在のホワイトウルフ・スピリットから、現代に生きる私たちのためにもたらされたものです。(本文より) すべては自分しだい・・・でも、それは自分に世界の全責任があるという意味合いではなく、自分で好きなように自由に世界を創造できるということ。私たちは、苦しみも、喜びも、自分で創造することができます。苦しみや喜びの中にこそ祝福があることを、ほんとうの自分は知っているから。 天国には「ゆるす」という言葉がないことを知っていますか?なぜなら、天国には誰かを「憎む」とか「責める」という感情も存在しないからです。つまり「ゆるす」という行為は、この地上でしか体験することができないのです。 それは、いま、ここに、すべてのものがそろっているから。だからそのなかから自分が体験したいことを選んで、魂の底から味わうことができるのです。 空腹感を体験したことがなければ、満腹感も体験することはできないでしょう。暗いを体験したことがなければ、明るいも体験することはできないでしょう。憎むを体験したことがなければ、ゆるすも体験することはできないでしょう。 天国から来た人は、きっとこう言うでしょう。 「ここはなんてすばらしいところだろう。私たちのところには決してないものが、ここには何でも存在している。私たちが当たり前のように知っている幸せも喜びも、ここではこんなにはっきりと感動的に感じることができるのか!すべてを感じることができるってすばらしい!生きるって本当にすばらしい!」 そしてこれは、あなたがこの世界にやってきたときに、はじめて言った言葉でもあるのです。いまはもう忘れているかもしれないけれど。 (2010年01月18日) |
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難題の有る人生は、“有難い”人生 | ||
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著者の斉藤里恵さんは幼少時の病気が原因で聴力を完全に失いました。 聴覚障害に端を発したトラブルなどからしだいに落ちこぼれ、酒、タバコ、盗みとおきまりの転落コースをたどった彼女が見つけた生き抜くための職業は、“筆談を駆使した”ホステスの仕事でした。かたわらに常備したメモ帳とペンを使った筆談での接客は、お客さんの心をつかみ、いつしか「筆談ホステス」と呼ばれるようになりました。 そんな里恵さんの“紙とペンを使った接客だからこそできる繊細な表現”や、“お客さんたちとの筆談のやり取りの中で実際に登場した名言集”は愛の言葉のシャワーとなりすべての人々に癒しを届けます。彼女が培った独自のコミュニケーション術はこのギスギスした時代にいちばん必要とされるスキルのはずです。 「難題の無い人生は、“無難”な人生。 難題の有る人生は、“有難い”人生」 「“涙”を止めれば、また笑顔に“戻”れます。 “泣く”のを止めれば、“立ち”あがって前に進めます」 「隣に誰かがいるだけで、“憂い”は“優しさ”に変わります」 「自分は失敗しない。 なぜなら成功するまでやめないからだ」 (2010年01月18日) |
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「運は自分が作り出すものだってわかったんだ」 | ||
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ジョージ・エリオット 「なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはない。」 アイルトン・セナ 「この世に生を受けたこと、それが最大のチャンスじゃないか。」 ヘレン・ケラー 「元気を出しなさい。今日の失敗ではなく、明日訪れるかもしれない成功について考えるのです。」 ジョン・レノン 「きみはどこへでも行けるのに、どうしてそんなところにとどまっているんだい?」 オルダス・ハクスリー 「やりかたやハウツーなんてない。 ただ愛することによってしか、愛し方なんてわからないんだ。」 いかがでしょうか。何か心に響く言葉がありましたか? 言葉というのは、そのときの精神状態や雰囲気、体調などで、いくらでも受け取り方が違うものです。だから、あなたにとって本当に心に響いた言葉があったとしたら、それが「おはよう」や「ありがとう」「ごめんね」だったとしても、それがあなたにとっての心の名言(たいせつな言葉)になるのだと思います。 人生は私たちが思っているよりも、100倍も自由で、1000倍も愛にあふれています。 ときには、苦しむことだって、辛いことだって、たくさんたくさんあるでしょう。 そういうとき、あなただけの名言をいつも思い出してください。 (2010年01月18日) |
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意識を変化させること、つまり目覚めさせること。 | ||
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あなたが思っているあなたが、実は本当のあなたではないとわかったとき、本当のあなたが誰なのかがわかりはじめます。つまり、あなたを本当に知るために、あなたではないものを最初に見つけるのです。 夢を見ているときは、眠っている本人はそれが夢だとはわからないでしょう。夢から覚めたとき(夢ではないものを見たとき)、それが夢だったとわかるのです。 この世界のすべてはそんなふうにできています。健康が何かを知るために、健康ではない状態(病気)があり、本当の幸せを知るために、幸せではない状態(不満)があります。そしてそのすべては、「本当の自分を知るため」につながっているのです。 <「真理」はあなた自身と切り離せない。そう、あなたが「真理」なのだ。 よそに真理を探していたら、きっとだまされ続ける。あなたという「存在」、それが「真理」だ。イエスはこのことを、「私が道であり、真理であり、生命です」という言葉で伝えようとした。イエスのこの言葉は最も力強く、最も直接的に「真理」を示した。ただし正確に理解されればであって、誤解されるととんでもない障害になる。 イエスの言葉は最も内なる「私という存在」、すべての男女、それどころかすべての生きとし生けるもののアイデンティティの核心を意味している。>(本文より) 思考で本当の自分について考えることはできますが、その「考えていること」は本当の自分ではありません。その「考えていること」を見つめている自分が本当の自分です。 光に照らされているものが光なのではなく、それを照らしているものが光です。 光に反射したものを私たちは見ることができますが、光そのものは見えません。 だから反射したもの(照らされたもの)が本当の自分だと思ってしまうのです。 しかしそれは、私という存在(本当の自分)を知るためにこそあるものです。 (2010年01月18日) |
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マンチーから学んだ幸せになる秘訣。 | ||
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犬って、いつも幸せそうにしていると思いませんか? その理由がこの中に書いてあります。 犬のマンチーが教えてくれる「いまを生きる」ための秘訣です。 「愛されたいなら、まず愛そう マンチーは、私の車がガレージに入るのが聞こえると、何をやっていてもすぐ投げ出し、私に会いに怒涛のごとく走ってくる。 ほえるのも叫ぶのもいっしょくたになるし、あんまり必死にしっぽを振るから、ガレージじゅうの床を毛皮のお尻でふきまくってしまう。おまけにおシッコまでちびっちゃう。マンチーは『うれしくって胸がはりさけそう』っていう言葉の本当の意味を教えてくれる。マンチーは、私がどれだけ家をあけていても、帰ってくると必ず心から迎えてくれる。長いあいだ留守にして帰ってきても、でんとすわって腕組みし、斜にかまえて待っていて、「私たちの関係のこと、どれだけ真剣に考えているのか、うかがいたいと思うんですけど」なんて言ったりはしない。マンチーは、ただ私に会えたことがうれしくて、それをちゃんと表現してくれるんだ。」(本文より) 私たちは頭が「良」過ぎるために、かえってその頭によって、がんじがらめに縛られてしまうことがあります。いろんな思いに心を奪われて、「いまに生きる」ことを忘れてしまうのです。いまに生きることを忘れてしまったときは、すばらしい先生がいつもそばにいます。いまを生きている達人、動物や赤ちゃんや子供からそのことを教えてもらったらいいのです。彼らは教えてくれるでしょう。 もちろん、それを教えることで自分に得になるかとか、未来にお返しが期待できるかなんて考えません。彼らは、「いま」に生きているのだから。 (2010年01月18日) |
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イメージすること | ||
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「イマジン さあ イメージしてごらん 心の中で想い描いてみてごらん 空を ただ空だけが ぼくらの頭上に広がっている風景を どこまでも青く どこまでも美しく どこまでも晴れあがった あの大きな空の下に ぼくらの世界は ある」 イメージは飛翔します。 想像力より高く飛ぶことができる鳥もロケットもこの世には存在しません。 平和も争いも、想像することから生まれます。想像と現実は違うと、あなたは言うかもしれません。だけどすべての現実は想像力が創ってきました。 空を飛べたら・・と想像することなしに飛行機は生まれなかったでしょう。遠い誰かと自由におしゃべりできたら・・と想像しなかったら電話もインターネットも生まれなかったでしょう。 想像の世界を創造しながら私たちは生きています。夢見ることは現実逃避なんかではありません。それこそが、現実創造です。 夢に逃げこむのではなく、夢を切り開いてください。想像に閉じ込められるのではなく、想像を解き放ち広げてください。イメージは飛翔し、誰も見たことのない世界を私たちに見せてくれるでしょう。 (2010年01月18日) |
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なにものも、ただ自分だけが、なにが自分でできるかを知っている | ||
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「ほんとうの愛には、背の高さとか年齢とか見た目なんかは関係ない。 ほんとうの愛っていうのは、魂と魂のあいだに生まれるものなんだ。 つまりその人が放射するエネルギーを愛するってことなんだよ。 だって、そのエネルギーがそのひとのことをいちばんよく教えてくれる、内的なものなんだからね。」(本文より) 愛が外見によるものであれば、この物質世界では、永遠の愛は存在しないということになります。もしそういう世界で生きているのであれば、愛は増えたり減ったり、なくなったり消えたりするように見えるでしょう。愛を目で見ようとすると、私たちは愛を見失いやすいのです。愛も、喜びも、幸せも、目に見える何かではかることはできません。だからこそ、それを信じることが強い力になります。 「なにものも、ただ自分だけが、なにが自分でできるかを知っている でも、それをじっさい試みてみないかぎり、自分でもわからない」 自分で信じ、それを自分の心で確かめるとき、「確信」になります。目に見えないものを信じ確かめるとき、それはもう目に見える以上の確信(現実)になるでしょう。 そういう世界においては、愛は増えたり減ったりはしません。これまでもあり、いまもあり、これから先もずっとあるもの、永遠に続くものとして私たちの内にあるのです。 「愛とはたましいに関することがらであり、たましいが永遠であるなら、愛もまた永遠である。たましい、愛、喜び、幸せ、永遠、これはすべて同じものを言い表しており、これこそが私たちの本質である。」 (2010年01月18日) |
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自分自身を愛しなさい。 | ||
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無法になることだ。 それは無鉄砲になるということではない。 それは、自らの首を縄でしめているあなたが、その縄を首からはずし、自分が呼吸できるようにすることだ。 法や教義や制限された信念などから自分自身を切り離すとき、あなたは神そのものである自由と無限性になることを自分に許していることになるのだ。 そうすれば、あなたは単純に自分自身である力そのものになることができる。 (本文より) 無法になるということは、自分自身を「自由にする」ということです。何ものにも縛られないとき、私たちの心は一番強く輝くことができます。この人生を冒険だというふうに感じることができますか?自由に生きるとは、いい加減に生きるということではなく、自分の心を尊重し、大切に生きるということです。そして、それは自分の心に縛られるという意味ではなく、自分の心を解放するという意味です。 何をするべきかではなく、何がしたいか。どう生きるべきかではなく、どう生きたいか。自分の心の声に耳をすませていれば、自分の抑圧された翼を必ずもう一度羽ばたかせることができるでしょう。自分のことを一番よくわかっているのは、いつも自分自身の心なのだから。 いつも耳をすませてください。 自分の話す怒鳴り声でその声を掻き消してしまわないように。 (2010年01月18日) |
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願う力で人生は変えられる。 | ||
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一人の侍が禅の老師のところに教えをこいにやってきました。 「どうか天国と地獄について教えてください」とその大きな男は懇願しました。 師はその剣客に向かってしかめ面をすると、馬鹿にして笑いはじめました。 「この私がかね?おまえに天国と地獄のことを教えるだと? おまえのような太りすぎの無知な脳みそを感心させることなどに、一瞬たりとも時間を無駄にしたくはない。おまえのような愚か者がよくもたいそう高尚な気づきを求めたものだ」 その言葉を聞いて侍はひどく腹を立てました。怒りで顔は赤くなり、その師の首を打ち落とそうとばかりに刀を抜きました。まさに刀を振り下ろそうとしたその瞬間、師は片方の手をあげて静かにこう言いました。 「お侍さま、それが地獄です」 この学びの奥深さに気づいたとき、侍の顔の表情はもとにもどり、刀を落としました。 人が怒りや恨みの中にひたることによって、みずからの地獄をつくりだすことをとても具体的に教わったのです。侍は即座にひざまずくと、師の足もとにひれ伏しました。見上げると、その師は微笑んでいました。 「お侍さま、それが天国です」(本文より) 地獄も天国も、空の上や地面の下にあるのではなくて、人の心の中にあるものです。 怒りで我を失っているときは、その人がどんなに豪華で綺麗な立派なお屋敷にいたとしても、その人は地獄にいることでしょう。反対に、心が感謝と平安と愛に包まれているときは、その人がどんなみすぼらしい場所にいたとしても、その人は天国にいるのです。私たちの外側からやってくるものが天国と地獄ではなくて、私たちの内側から生まれてくるものが天国と地獄です。 真にポジティブに生きるとは、本当は苦しいのに苦しくないふりをすることではありません。苦しさを認め、受け入れ、向き合い、そこに祝福を見つけることです。 暗雲たちこめる嵐の中にラピュタはありました。聖なる輝きは永遠に消えることがないでしょう。見えないだけでそれは必ずあるのです。心の暗雲を超えていってください。天国をいつも選んでいってください。いつも、何度でも、何度でも。 (2010年01月17日) |
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幸せになる勇気をもちましょう。 | ||
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自分を愛するということは、自分の本当の声に耳を傾けてあげるということです。周りや親から言われたことではなくて、自分の心が純粋に感じるものです。あなたはこういう人間だと誰かから言われたことが、自分自身の真実ではありません。 自分にとっての一番の真実は、いつも自分の心が感じることです。その情熱に従い続けることができた人が、自分の本当の人生にたどり着ける人です。 欲望は人間の頭が生み出しますが、情熱は人間の心が生み出します。欲望は頭から生まれるものなので、それが必要な「理由」もたくさん考えつきますが、情熱は心の底から生まれるものなので、理由もなくとにかく自分はそれがしたいと魂から感じることです。 自分を愛するとは、その自分の心を信じてあげることです。幸せになる勇気を持ってください。自分の信じた道を歩くあなたを、ときに非難したり、間違っているという人がいるかもしれません。だけど自分を信じぬくことで、必ず光は見えてきます。 「無理」「できっこない」「あきらめろ」 このような言葉は一番情熱をくじくものではありますが、必ず越えていくことができます。自分自身にいつも声かけをしてください。 「大丈夫」「できる」「うまくいく」 そうすればどのような呪縛も必ず超えていけるでしょう。 私たちは見るものを信じるのではなく、本当は、信じるものを見ます。奇跡を信じるなら奇跡を見ることができ、愛を信じるなら愛を見ることができ、自分自身を信じるなら、本当の自分を見ることができるでしょう。 もし悪夢や不安や苦しみを信じるなら、それを見る(体験する)前に、喜びや平和や愛を信じてください。 あなたの心がいつも、平安で、喜びと幸せに満ち溢れることを心から願います。 (2010年01月17日) |
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幸せになる覚悟はありますか? | ||
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ダイアー博士によれば、それを好きか嫌いかは関係なく、自分の心がたえず意識するものが自分の元に現実として創造されていくようです。 「病気になりたくない」というのと、「健康になりたい」というのは、一見同じ意味に見えるかもしれませんが、結果はまるで反対になるということですね。 学生時代、よく授業中、自信がないときに、「あてられませんように」と強く願うときほど、あてられてしまったという経験は誰にでもあると思います。 これは意識が「あてられる」に強く向きすぎたためであると、このことから説明することができます。 いつもプラスのことを考えられる人は、プラスの出来事だけを自分の現実として体験することができます。 「こうなったらどうしよう」と必要以上に怖れることは、「こうなりたい」と言っているのと同じです。 それなら、「こうなりたい」と感じることだけを心に思い浮かべましょう。 「こうなりたい」と心に思うとき、わくわくどきどきしませんか? このわくわくどきどきが、心が正しい方に進んでいるときの羅針盤です。 なりたいように、思うままに、最高の自分へ進路をとりましょう。 きっと、なれます。 きっと、大丈夫。 (2005年10月18日) |
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僕は間違いなく「やさしさ」を選ぶ。 | ||
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やさしさって何だと思いますか? やさしさとは、人のことを思いやれる心のことだと私は思います。 やさしい人は、やさしいからこそ、相手の痛みがたくさんわかって、だからこそたくさん一緒に共感し、たくさん一緒に悲しんだり、喜んだり、涙を流すことができます。 いつも傷つく人、いつもたくさん苦しい人、それはあなたの心がたくさんのやさしさに溢れているからです。 やさしいから苦しいです。 たくさんがんばってるから傷つきます。 強くて頑丈で、涙ひとつ流さないロボットのような人よりも、ぼろぼろになってまだ前に進もうとがんばる人間くさい人の方が素敵だと思います。 そしてそういう人の方が、真の意味で強いのだと思います。 (2010年01月17日) |
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あなたが生命を尊重したら生命はあなたを尊重するでしょう。 | ||
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人生でどのくらいたくさん持っているかに焦点を当てるとき、あなたはたくさんあって真に豊かな現実に焦点を当て、その現実を創造していることになるのです。 その焦点は、欲しいとか望むことにあるのではなく、「持っている」ということにあるのです。それで「持っている」が、大きくなり増えていくのです。 そして「もっと持つ」ようになるのです。 あなたの祝福を数え上げて、感謝するようになるのです。 「持っていない」ことに焦点を当てる人たちは、「持っていない」が増え大きくなるのです。そして「ますます持たない」という螺旋状の下り坂で迷子になってしまうのです。 (本文より) 持っているものを数えられる(焦点を当てられる)とき、持っているものはさらに増え、持っていないものを数える(焦点を当てる)とき、持っていないものはさらに増える。自分が焦点を当てるものが、自分の人生の中で増えていく。 自分にないもの、自分の欠点を数えるとき、それはどんどん増えていき、自分がどんどん嫌いになります。自分が持っているもの、自分の長所を数えるとき、それはどんどん増えていき、自分がどんどん大好きになります。自分の状況は何ひとつ変わらなくても、自分が何に焦点を当てるかで、いくらでも幸せは「選べる」のです。 人はよく「何か良いことがないかなぁ」という言い方をします。 「良いことがない」に焦点を当てるとき、「良いことがない」状態が増えていきます。 良いことがなかったということは、視点を変えれば、同時に何も悪いことも起こらず無事に一日を過ごすことができた・・ということです。それって、とてつもなく「良いこと」ですよね。「良いことが何もない一日」=「悪い一日」、「悪いことが何もない一日」=「良い一日」です。 視点を変えると、同じ一日でも「良い一日」と「悪い一日」と、まるで違う一日になります。 よかったこと探しをできる人は、よかったことがたくさん増えていって、悪いこと探しばかりしている人は、悪いことばかりがたくさん増えていくのですね。 (2010年01月17日) |
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夢は逃げない あなたが逃げないかぎり | ||
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ほっとしていますか? いつも神経をすり減らして疲れていませんか? ほっとするということは、ゆるむということ、リラックスすること。 身体も心もたくさん使った後は、リラックスしてゆるめてあげましょう。 しあわせは いつも 「自分の心」が決める 誰かが何かを言ったとしても、あなたがそれを正しいと感じれば、それは「あなたにとって」最高に正しいこと。 大切なのは、自分がどう感じるか。 考えるんじゃなく、感じたことを大切にするとき、人生は必ずうまくいく。 (2010年01月17日) |
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さあ、秘密を、うちあけるよ。 | ||
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「人生に答えなんてない。 前に進む力はある。 その力を生みださなければならない。 答えは、それについてくる。」 人生に答えを探す必要なんてない。 なぜなら、人生そのものが「答え」なんだから。 ぼくたちは「質問」ではなくて、「答え」を生きている。 わかるかい?ぼくたちが道の上を歩いてるんじゃなく、ぼくたち自身が道なんだ。 答えを生きているぼくたちが、答えをなくすことはあり得ない。 答えを一時的に見失うことはあるかもしれないけどね。 見失ったなら、また見つければいい、それだけさ。 でも、どうやってそれを見つけるのかって? 「簡単なことさ。 心じゃなければ、 ものはよく見えないのさ。」 (2010年01月16日) |
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