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長崎書店のレビュー |
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掲載レビュー全693件 |
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「疑う」より、「信じる」ほうが強くなれる | ||
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名作映画から読み解く幸せのヒント集です。 [人は弱い生き物ですから、何か不安なことが起こったときには、まず「信じる」気持ちより「疑う」気持ちが生まれてきてしまいがちです。 「信じる」より、「疑う」ほうが簡単だからです。 信じると、裏切られることもあるし、だまされることだってあるでしょう。 でも、疑っている状態のあなたは幸せでしょうか? 確かに、疑いを持つことで「だまされない」というメリットはあるかもしれません。 しかし、人を疑うとまず、そんな自分に嫌悪感を持ってしまうはずです。 そして、相手への疑念や嫉妬、不安などの負の感情が心を占領し、ますますつらい思いをしてしまうのではないでしょうか。 映画「初恋のきた道」で、少女はいつ戻るとも分からない恋人を待ち続けます。 彼女に迷いや疑いの気持ちはまったくありません。 一途に信じる彼女には、待つ時間ですら、至福の時間であったかもしれません。 不安になったときは、「疑う」ことと「信じる」こと、どちらが自分にとって幸せなのか、心に問いかけてみましょう。](本文より) (2010年01月13日) |
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なぜ 花はいつも こたえの形をしているのだろう | ||
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難しいことは考えずに、ただ雰囲気を楽しんでほしい本です。 安野光雅のすてきな装幀、装画にのせて、どこかなつかしい音色を奏でることばたちを、四行詩のかたちにつむぎだした、殊玉の詩画集です。 ぼーっと眺めているだけで、心の中にひとひらの風が舞い込んでくるようです。 星はこれいじょう 近くはならない それで 地球の草と男の子は いつも 背のびしている (2010年01月13日) |
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成功させたいことほど、心配してはいけないのです。 | ||
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人が怒りを感じるとき、それは相手が自分の期待どおりの行動をしてくれなかったときです。 晴れてほしい日に雨が降ると、怒りを感じてしまうのと同じです。 期待をしないということは、「雨でも晴れでも自分は同じようにこの日を楽しむことができる」と、自分自身を信頼してあげることです。 自分のこころの空模様は、いつも自分しだいだということです。 @物事を素直に受け止めること。 A相手に勝手な期待をしないこと。 この二つに気をつけていれば、きっとイライラする回数はだんだん減っていくでしょう。 いつもハッピーでいる人は、いつもハッピーな出来事が起こっている人ではなく、 いつもハッピーな目線で物事をとらえている人です。 その人にとっては、晴れでも、雨でも、曇りでも、雪でも、すべては「良い天気」に違いないのです。 (2010年01月13日) |
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「症状を起こすものは、その症状を取り去るものになる」 | ||
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ホメオパシーとは、今から200年前にドイツの医師ハーネマンがその生涯をかけて確立させた療法で、その起源は古代ギリシャのヒポクラテスまでさかのぼることができます。 ホメオパシーは同種療法あるいは類似療法と訳されている通り、「症状を起こすものは、その症状を取り去るものになる」という「同種の法則」が根本原則になっています。 ハーネマンはこの「同種の法則」に、症状を起こすものを非常に薄めて使うことにより、体に悪影響を与えることなく、症状だけを取っていくものとなるという「超微量の法則」を打ち建て、安全で体にやさしく常習性を持たないホメオパシー療法を完成させました。 ホメオパシーとは、ラテン語で「おなじような」という意味のhomoと「病気」を意味するpathyを組み合わせた造語で、二つあわせて「病気と同じような」という意味になり、日本語では通常、「同種療法」と訳されます。 ホメオパシーでは症状を抑圧するのではなく、症状を出し切れるように後押しします。 そうして初めて心身ともに健康になると考えます。 私達の心や細胞が抱える不自然なパターンを解放し、体の芯から健康を取り戻す自然療法、それがホメオパシーです。 (2010年01月13日) |
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“私”がこの瞬間に“幸せ”と思えばいいのです。 | ||
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「そ・わ・か」とは、「掃除」の「そ」、「笑い」の「わ」、「感謝」の「か」です。 「掃除」とは、いつもきれいでいること。 立ち振る舞い、心の美しさ、身のまわりをきれいにすることなどです。 (とくにトイレ掃除が効果的だそうです。) 「笑い」とは、肯定すること、受け入れること、共鳴、共感することです。 何かを見て笑うということはそれを「受け入れた」ということです。 嫌いな人が何かおもしろいことをしても笑えませんよね。 それはその人を受け入れていないということです。 笑える人は肯定的な人、受け入れられる人、明るい人です。 「感謝」とは「ありがとう」といつも感謝できること。 ありがとうの語源は「有り難し」です。 人の力ではできないこと、成就しにくいことが成されたとき、「あり得ないこと」(が起きた)というので、「有り難し」と昔の人は言っていました。 もともとは、神に対してのみ使われてきた言葉です。 この神に対する言葉を人に対して使うこと、これがどれだけパワーのあることかわかりますね。 (2010年01月13日) |
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人に見せるための人生ですか? | ||
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自分を不機嫌にさせたり傷つけたりすることができるのは、他の誰かの言葉や態度のように見えますが、本当はそうではありません。 その誰かの言葉や態度を受け取る「自分の心」です。 もし必要ではない贈り物(言葉や態度)を相手が差し出してきたら、それを受け取らなければいいのです。 反対に、ありがたいうれしい贈り物ならば、遠慮をせず、感謝を込めてありがたく受け取りましょう。 「受け取らない」とは、歯をくいしばって拒否するのでも、腹が立っているのに無視し我慢することでもありません。 「受け流す」「受け止めて解放する」というイメージが近いでしょう。 雨が降ってきたときに、もし雨に対して嫌なイメージを持っていたら、「ああ、嫌だなぁ」と思うでしょうし、楽しいイメージを持っていたら、「うれしいな」と思うでしょう。 雨が降るという事実は変わりませんが、受け止め方はその人の心によって、いくらでも変わるのです。 「ああ、雨が降った」と、そのまま受け止めることができる人の心はきっと平安でしょう。 起こる出来事によって心が乱されるのではなく、自分の心がそれをどう受け止めるかで、幸せも不幸も自分で選べることをその人はちゃんと知っているから。 いつも、うれしい贈り物だけを人から受け取りましょう。 いつも、喜んでもらえる贈り物だけを人にあげましょう。 (2010年01月13日) |
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奇跡は毎日起こっています。 | ||
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ゆだねるとは、なげやりになることでも、諦めることでもありません。 ほんとうの自分に、自分自身(怖れや不安を感じている自分)を、「明け渡す」というイメージです。 この「明け渡し」の作業をやっていくとき、偶然の一致などの「奇跡」が起こってくるのを感じると思います。 正確に言うと、奇跡は今までもずっと起こっていて、それにあらためて気づきはじめるという感じです。 流れ星がどんなにたくさん流れていたとしても、私たちが空を見上げることをしなかったら、それを見ることはできません。 奇跡とはめったにありえないようなことではなくて、本当は絶えず起こっていて(すべてが奇跡であるがゆえに)、めったに私たちが気づくことのできないものです。 いま、私たちを取り巻いているすばらしい奇跡に、気づくことができますか? (2010年01月13日) |
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「ほんとうに知っている」ということは、まるでちがうのです。 | ||
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私は恥ずかしながら高橋源一郎さんの小説は一冊も読んだことがないのですが、この本はなぜか大好きです。 「小説教室」となっていますが、小説の書き方というより、生き方というか、感性の磨き方がいっぱい詰まっています。 (2010年01月13日) |
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小さなことを喜べる人には本当に喜べる大きなことがやってくる | ||
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浅見帆帆子さんは「あなたは絶対!運がいい」や「大丈夫!うまくいくから 感謝がすべてを解決する」など、素敵な生き方や考え方の本をたくさん書かれています。 浅見さんの考え方はとてもわかりやすく、読んでいてワクワクするので、私も大好きです。 「なにも起こらないということは、嫌なことも起きていない、というすごいこと。」 本当にそのとおりですね。何もない当たり前の毎日、これがどれだけの奇跡に満ちたすばらしいことなのか、私たちは普段なかなか気づくことができません。いろんなものに守られて私たちが生きていること、今ここにいるだけですばらしく幸せに満ちた祝福の状態であること、このことに私たちが心から気づいたら、私たちの人生はもっともっと輝き、光に満ちたものになるでしょう。 「起こることはすべてベスト」 「すべてはうまくいっています」 この言葉が私は大好きです。 起きる出来事は変えられなくても、自分の心の捉え方はいつだって変えられます。 退屈な世界を変える方法、それは自分の心が変わること。そして「変わる」とは本当は、「取り戻す」「思い出す」ということ。いつも自分が「幸せである」ことを思い出すということ。「なにも起こらない」というすばらしい毎日に感謝します。 (2010年01月13日) |
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思い出して欲しいのは、創造のただひとつの法則です。 | ||
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バシャールとは、ある人(存在)の名前で、私たちにいつも素敵なメッセージを届けてくれます。 そのメッセージが私は大好きです。 バシャールがいつも繰り返し言うこと、それはワクワクすることをいつもやりなさいということです。 心がワクワクしているとき、それは私たちが一番、ほんとうの自分に近い状態でいることができているときです。 「ワクワク」が人生の道標になるとバシャールは言います。 「自分の与えるものが、自分に戻ってくる」 人に何かを与えると、自分が何かをなくすように感じるかもしれませんが、本当は逆で、もっともっと得ることができます。 誰かに「優しさ」を与えたとき、自分の中に「優しさ」がもっともっと溢れるのを感じるでしょう。 誰かに「愛」を与えたとき、自分の中に「愛」がもっともっと溢れるのを感じるでしょう。 自分にないものは与えることができません。 与えることではじめて、自分の中にそれが本当にたくさんあることに気づくことができます。 いつのときも大切なのはワクワクしながらやることです。 見返りを求めたり何かを奪おうという気持ちから与えたとしても、さらに得るどころかもっと奪われてしまうでしょう。 ワクワクはワクワクを引き寄せ、愛は愛を引き寄せます。 いつも自分がその源になり、自分が得たいものを引き寄せていってください。 あなたの幸せな夢が実現しますように! (2010年01月13日) |
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運が悪いときにも運がいいと考える。 | ||
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運がいい人というのは、自分は運がいいと思える人です。 運が悪い人というのは、自分は運が悪いと「思い込んで」いる人です。 同じことを体験したとしても、この二人の感想はまるで違うものになるでしょう。 幸運は自分の心が生み出すもの。 まわりの状況が自分の幸・不運を決めていると信じているとしたら、人生はままならないものに感じて苦しいものになるかもしれません。 子供の頃、迷子になって歩いているうちに、新しい道を発見したという経験はきっと誰にもあるでしょう。 いつもと同じ道を歩いていたら、その新しい道を見つけることもできなかったのです。 新しい道を発見すること、それを「失敗」と呼ぶとしたら、もうそれは失敗ではありませんよね。 失敗を「発見」と呼んでみましょう。 すべての道は幸運に続いています。 幸運、不運の二つの道があるのではなく、一つの道の感じ方が二種類あるだけです。 オープンワールド、「世界を開く」とは、自分自身を開くということ。 世界の中に自分があるのではなく、自分の中に世界があるのだから。 (2010年01月13日) |
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人間って不思議だ。 | ||
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永遠の命をもつ「少年」は、あらゆる世界、あらゆる時代に現れ、人間を見つめます。 永遠の命を持つ少年にとって、有限の命しか持たない人間はとても不思議で興味深いものです。 死地に赴くソクラテスや、南極探検に失敗し遭難した男など、彼は様々な時代、場所で、岐路に立つ人の前に現れ、人々の生、そして死を見つめてゆきます。 人間を見つめる永遠の存在といえば、「火の鳥」が思い浮かびますが、火の鳥が絶対的真理であるのに対し、この少年は感情を持ち、ときに怒り泣き、人間の世界に積極的に介入していくのです。 2巻に収録されているソクラテスの話が私は好きです。 少年が降り立ったのは紀元前399年のギリシャ。そこにいたのは牢獄の中で処刑を待つソクラテスでした。不当な裁判で処刑を命じられたソクラテス。 そしてそれを受け止め待つソクラテス。 「解せません。あなたが何故処刑されなければならないのか」 ソクラテスは答えます。「自分が知らないということを自ら知り、 あくまでその気持ちに忠実に行動したからだよ」 少年は言いいます。「では知らないということがなくなったら、 全てを知ったらどうなるのか、、試しに全てを見せましょうか、、この先の人間たちの運命を」 こうして少年とソクラテスは一気に時空を駆け抜けます。 あらゆる時代、あらゆる場面、そして現代の日本へ―。 そこでソクラテスは何を見るのでしょう? 知らないということがなくなったとしても、ソクラテスは自らの死を受け入れるのでしょうか? (2010年01月13日) |
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ゆるしとは過去の傷を喜んで手放すことです。 | ||
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ゆるすとは、相手が何もしても怒らないということではありません。 本当の相手を見つめて理解してあげるということです。 もしも相手が何かにおびえ、怖れ、不安にかられて、あなたに何かをしてきたとしても、その理由がわかっているあなたは、きっとその行動を、相手を理解し、ゆるしてあげることができるでしょう。 人をゆるすことができないと感じるなら、まずそのゆるせないでいる自分をゆるしてみましょう。 自分の怒りを理解し、わかってあげて、抱きしめてあげて、解放してあげるのです。 それがきっと、自分を愛するためのすばらしい一歩です。 「ゆるさない」は自分も相手も永遠に閉じ込めますが、「ゆるす」は自分も相手も永遠に解き放ちます。 私たちは、自分をゆるすことで人をゆるすことができ、自分を愛することで人を愛することができるのだから。 (2007年12月04日) |
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自分がだれなのか、どこから来て、どうしてここにいるのか、 | ||
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コックピットに琥珀色の閃光がピカッと走った―。 その瞬間、いままで視界にひろがっていたロサンゼルスの街が消えて、飛行艇グロウリーに乗りこんだリチャードと、妻のレスリーとの不思議な愛の旅が始まった。 同時に存在するもうひとつの人生、自分以外の自分をかいま見るふたり。 「かもめのジョナサン」のリチャード・バックがおくるパラレル・ワールドをめぐる味わい深いファンタジー。 パラレル・ワールドとは、この世界と併行して存在する別の世界のことです。 この世界とはまったく別の世界、それが無限に存在している。そしてそこには、もう一人の別の自分も同じように無限に存在している。 無限の人生、無限の自分、なかにはほんのちょっとだけ違った世界や、この世界とはまるで違った想像もできないような世界もあるでしょう。 そしてその人生のすべてを本当は私たちは同時に生きています。 そう、人生はいつも「One(ひとつ)」です。無限にあってひとつなのです。 テレビのチャンネルが無限にあったとしても、私たちが見ることができるのはいつも、一回につき一番組です。だから一つの人生しかないように見えるのですね。 だけど本当は、同時進行でたくさんの人生が存在しています。 そのたくさんのチャンネルの中で、私たちは毎瞬毎瞬、自分が見たい番組(人生)を選んでいます。 あなたは今日どんなチャンネルを選びますか? 悲惨なニュースばかりを流す報道番組を選びますか? それとも愛とハッピーであふれたワクワクするような素敵な物語を選びますか? たくさんの世界の中のいつも最高の世界を、たくさんの自分の中のいつも最高の自分を、いつも私たちが選んでいくことができますように。 (2010年01月13日) |
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よし!いまから始めよう。 | ||
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これは以前に発刊された「神との対話」の最新シリーズとも呼べるもので、今回は10代の少年少女からの質問に「神」が答えるという形になっています。 その質問とは例えばこんな感じです。 「世界はなぜ、こんなにも憎しみに満ちているのですか?」 「私たちの人生は、生まれる前から宿命づけられているの?」 「ボクの親って、なんで、ボクの失敗ばかり目につくんだろう?」 「神様がみんなを幸せにできるんだったら、なんでこんなにたくさんの人びとが苦しまなければならないの?」 「天国って、どんなところ?」 このような質問は誰もが子供の頃に感じたものだと思います。 かつて子供だった大人も、質問の答えが知りたいときっと思うはずです。 私は本当にワクワクしながら神様からの答えを読み進めることができました。 あなたが抱く神様のイメージはどんなものでしょう? とても威厳があって厳しくて、間違ったことをしたら罰を与える神様でしょうか? それともとても優しく愛に満ちた幸せな神様でしょうか? 私がこの本の中に感じた神様は、とっても楽しくユーモアがあって、大好きな「友達」のような神様でした。 (2010年01月13日) |
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私たちの感情には「愛」と「怖れ」のふたつしか存在しない。 | ||
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世の中には本当にたくさんの感情が渦巻いているように見えますが、本当は愛と怖れのふたつの感情しか存在していません。 そして怖れのない状態が愛と呼ばれるものです。 つまり、私たちは元々は愛であるが、怖れがそれを覆い隠すとき、愛が見えなくなってしまう(忘れてしまう)ということです。 そしてそれを選ぶことができるのは(愛を怖れで覆い隠すか、怖れを剥ぎ取り愛を思い出すか)、世界中でただ一人、自分自身しかいません。 もしあなたが愛ではなく怖れに飲み込まれ、世界に一人で立ち向かわなければならないと感じたとき(愛を忘れてしまいそうになったとき)は、いつでも自分自身に強く語りかけてください。 「私はすべてのことを自分自身の責任によって見る。 すべては私しだい。 私はいつでも愛を選び直すことができる。 私は自由だ」 この「選び直す」ということにはとてつもないパワーがあります。 なぜならそれを行うことができるのはいつでも「私」であり、いつでも「今」だからです。選び直すことに、遅すぎることも早すぎることも決してありません。 私たちが生きているのはいつでも今であるし、今しかないからです。 「今、愛を選ぶ」 このパワフルな宣言を心の底からするとき、いつも内側からわいてくる大きな力を感じることができるでしょう。 (2010年01月13日) |
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「今の自分の全ては自分のこれまでの思考の結果である」 | ||
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この秘密を理解するためには「感謝すること」がとても大事です。 感謝するとは「受け取る」ということ、不満を言うとは「拒否する」ということです。 不満は不満を、感謝はさらに感謝したくなることを引き寄せます。 あなたがそのようになりたかったら、すでにそうであるように行動し、感謝すればいいのです。 思い出すということは、自分がすでに知っていることを、知っていると確認していくことです。 そこには何の秘密もなく、私たちが知らないことは本当は何ひとつありません。 「思い出す」とは「気づく」と同じ意味です。 自分の中に咲いている一輪の花に気づくとき、それは自分の中に咲いていたその花を思い出す聖なる瞬間だから。 あなたはいつもあなたが考えるようなあなたになっていきますが、あなたに届けられたものに感謝できないでいると、同じように感謝できないような出来事を自分に引き寄せていくでしょう。 自分自身のでっかい宝物はいつも自分の中に「隠され」ています。 「隠した」のが自分なら、それを見つけるのも自分自身です。 秘密とは、すでにそこにあって、思い出されるのをただ待っている、ほんとうのあなた自身のことです。 答えを求めるなら、たえず問いかけていてください。 ほんとうの自分とは何だろうかと? 答えはあらわれるのではなく、すでにそこにあったことに気づくことができるでしょう。 「思い出す」ということによって。 (2010年01月13日) |
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「粗食」とは「貧しい食生活」という意味ではない。 | ||
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みなさんは食事には気をつけていらっしゃいますか? 自分の身体の中に入れるもの(自分の材料)は慎重に選ぶ必要があるのかもしれません。キレやすい人が増えたのは食べ物の影響もあると専門家は言っています。 この本を初めて読んだときは、それまでの世間一般の情報と大きくかけ離れた部分もあり、とても衝撃を受けたのを覚えています。 世界共通の「これを食べれば健康になる」というものはなく、その土地の風土にあった食べ物を食べることが大事だと著者は言っています。日本人にあった食べ物といえばお米が一番大きなものです。昔は少しのおかずで、ご飯を何杯も食べていましたが、今は逆になっており、少しのご飯でたくさんのおかずを食べるという状態になっています。 パン食も進み、ご飯を一日一杯も食べない人も中にはいるのではないでしょうか? 私はこの本を読んで、おむすびをいっぱい食べよう!と思いました。 (2010年01月11日) |
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すべてのことは、メッセージ。 | ||
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からだが不調を起こしたりすると、私たちは憂鬱になったり、嫌な気分になってしまいますが、その不調が私たちの友人が何らかのメッセージを伝えようとしている「インターフォン」だと考えると、とてもありがたいものだと考えることができます。 からだを粗末に扱ったり、イライラしながら生活していたのでは、メッセージに気づくことができません。 部屋の中で大音量の音楽を聞いているときに、電話の音に気づかないのと同じです。 からだを思いやり、感謝の気持ちを持つことで、からだ(自分)に対して優しくなれ、小さなメッセージにも気づくことができるようになります。 優しさに包まれているとき、こころが湖のように澄んで、ほんの小さな石が水面に落ちる波紋でも、気づくことができるようになります。 大荒れの海に大きな石を投げ込んでも、その変化はほとんど感じられないでしょう。 メッセージはいつでも届いています。 メッセージが来ているかどうかではなく、私たちがそれに気づくかどうかです。 たくさんの幸せへと続くサインに、私たちがたくさんたくさん気づくことができますように! (2010年01月11日) |
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心は脳のどこにどのように存在しているのか? | ||
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この本は、脳科学者の池谷裕二さんとコピーライターの糸井重里さんの対談の本です。 二人ともユーモアがあって、難しい脳の話なのに、さくさく読めちゃいます。 私はいつも「心」ってどこにあるんだろう?と思っていました。 頭の中にあるのかな? でもうれしかったり、悲しかったりすると、胸がはずんだり、胸が苦しくなったりするので、心臓の中にあるのかな? それとも、身体の中ではなくて、どこか遠いところにあるのかな? なんて思っていました。 目に見えないけど確かにあるもの、触ることはできないけどすばらしいもの、それが心ですね。 脳って、使えば使うほど、年齢と関係なく活性化していくそうです。 反対に、使わなければ使わないほど衰えていく。 使わなきゃ損ですね。 あと、まったく違う何かを「つなげる」、「結びつける」という能力が脳の本当にすごいところらしいです。 ニュートンは、リンゴが落ちるのを見て、それを「物が落ちる」というのに結びつけて、引力を発見することができました。 普通だったらリンゴが落ちるのを見ても「おいしそう」ってしか思わないですもんね。 この「まったく違うことを結びつける」ことがすごいのですね。 私も日常の、まったく違うような出来事を結びつけて、自分の中で化学反応を起こして、新しいことを生み出すというワクワクするようなことを、いつも意識してやっていきたいと思います。 (2010年01月11日) |
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