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長崎書店のレビュー |
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掲載レビュー全683件 |
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すべてのおとなは、最初は子どもだったのです。 | ||
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「星の王子さま」のサン=テグジュペリの言葉がぎゅっと詰まった一冊です。 優しい言葉たちが疲れた心をふわりと抱きしめてくれます。 「希望なく愛することは 絶望ではない。 無限においてしか結ばれないことを 意味するだけだ。 星は途中で消え去りはしない。 与えて、 与えて、 与え尽くすことができる。」 自分が愛して欲しいから相手を愛するとき、相手に対する期待が生まれます。 反対に、自分が愛したいから愛するとき、相手に対する感謝が生まれます。 期待は失望を生み出しますが、感謝は幸福を生み出します。 与えるほどに愛は増えますが、欲しがるほどに愛はなくなります。 与えることと、受け取ることは、本当は同じです。 与えて与えて、与え尽くしたとき、自分が欲していたものはすべて手にしていることに気づくでしょう。 (2010年01月11日) |
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「意志があるところに道(タオ)がある」 | ||
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人はなぜ病気になるのか? 本書はこの疑問に真正面から真摯に取り組んでいます。 心と身体はつながっていると言われるように、病気とはその人の心が目に見えるかたちで表れたものだととらえます。 病気になるひとつの理由は、「アンバランスを引き起こしている力または情況が、バランスを回復しようとする治癒系の能力の限度をこえている場合があるから」と考えます。 ではどうしてそのようなことが起きるのか? どうしたらそれを治すことができるのか? 「ヒーリング」(治癒)の文字どおりの意味は「ひとつの全体になること」です。 ばらばらになってしまうことが病気だとすれば、ひとつの全体になることが治癒です。 自分を受け入れることが、「ひとつの全体になる」ことの一歩です。 極限まで後ろに引き伸ばされたゴムは、同じ力で前に激しく飛んでいきます。 ばらばらになるとは、ひとつになるためのプロセスの一部です。 病気になることは、引き伸ばされたゴムが戻ろうとするときに起こる、大きな揺さぶりだと私は思います。 戦いではなく、ひとつになるための「チャンス」です。 (2010年01月11日) |
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知識より、創造力が大切だ。 | ||
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あなたにどれだけたくさんの知識があったとしても、それを活用できるだけの創造力がなかったら、それはあまり役に立ちません。 反対に、知識があまりなくても、ありあまる創造力を持っていたとしたら、あなたはどんなところまでも飛んでいくことができるでしょう。 創造力とは、想像力です。 人間が「空を飛べたら」と想像しなかったら、今、飛行機は空を飛んでいないでしょう。 人間が想像できるすべてのことは、すべて現実に起こりうることです。 電話もテレビもインターネットも、すべて人間の想像力が生み出してきました。 「どんな鳥も、想像力より高く飛ぶことはできない」(寺山修司の言葉より) もしあなたの想像力が、知識の檻に閉じ込められていて、苦しくてもがいているなら、そこから出して、より高い大空へと羽ばたかせてください。 (2010年01月11日) |
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水からのメッセージに耳をかたむけよう。 | ||
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現代の量子力学では、すべての物質は粒子であると同時に波であることは、常識になっています。 さらに、波動をもっているのは、形あるものだけではなく、口から発せられた言葉や、書かれた文字も、それ独自の波動をもっています。 「ありがとう」と書いた文字を見せた水と、「ばかやろう」と書いた文字を見せた水では、あきらかに結晶のでき方が違います。 「ありがとう」の方は本当にきれいな結晶になるのに対し、「ばかやろう」の方はバラバラに砕け散った醜い形になります。 人間は、この世に誕生する前、受精卵のときは99%が水だと言われています。 赤ちゃんのときで90%、大人になっても70%は水です。 それを考えると人間の身体がどれだけ波動を受け取りやすいのかわかりますね。 「ありがとう」「うれしい」「愛してる」と言われて育ってきた人と、「ばかやろう」「むかつく」などと言われてきた人とでは、どれだけ心の結晶の美しさが違うでしょう? あなたが人に言う言葉もそうですが、あなたが自分に投げかける言葉も同じです。 知らず知らず、自分を責めるような言葉や、価値を落とすような言葉を使っていませんか? (2010年01月11日) |
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「探そうともしなかった場所にそれはある。」 | ||
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誰もがダイヤモンド(幸せ)を探し求めています。 このダイヤモンドはいったいどこにあるのでしょう? 誰もが探していますが、なかなか見つかりません。 幸せはまるで幻のように、存在していないかのように見えますが、本当はそれは存在していないのではなく、私たちが探す場所が間違っているという、それだけです。 なぜなら、探そうともしなかった場所にそれは存在しているからです。 このダイヤモンドを見つける方法がこの本の中に書いてあります。 (2010年01月11日) |
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この物語を地球家族のすべてのメンバーに捧げる | ||
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「もし地面にしゃがんで芋虫を注意深く観察したら たぶんあなたは、芋虫ってふわふわしてかわいいけど かなりたいくつな一生を送っているな、と思うでしょう そして、たぶん、あなたは正しいかも でも… 芋虫はあなたをびっくりさせることが一つだけあります それは、芋虫がどうやって蝶になるかという物語」 芋虫がどうやって蝶になるのか、その神秘の過程を知るとき、私たち人類のこれからの進化の過程が見えてきます。 そしてそれはもうすでに始まっているのです。 もし地球が蝶であったらと想像しながらこの本を読むと、とてもワクワクしてきます。 私たちも蝶であり、羽ばたく羽を持っているからです。 (2010年01月11日) |
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八歳のリッチーは、やっと野球のボールとバットを与えられた。 | ||
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そしてその新しい道具で遊ぼうと、急いで裏庭に走っていった。 両親は台所の窓から、リッチーがボールを投げ上げ、バットを振り、空振りするのを見ていた。 何度も何度もリッチーはボールを打とうとして空振りした。 両親も悔しがるくらい、その子は毎回ボールを空振りした。 十分ほどストライクになるのを見続けて閉口した父親は、そろそろ息子を元気づける頃合だと思い、彼のところに行って、肩に手を置き慰めるような声で言った。 「たぶんお前はバッターには向いていないんだよ」 「バッター?」とリッチーは答えた。 「バッターなんてどうでもいいよ。僕はすごいピッチャーになる途中なんだよ!」 この本の中に紹介されているこのお話が私はとても好きです。 一見、悪いことに見えることも、視点を変えると、とても良いことに変わってしまいます。 長所とか短所とか、私たちが自分で思っているところも、本当は見方を変えるだけで、まるで違って見えるのかもしれません。 (2010年01月11日) |
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「私が崇高な道を選べば、必要なものは全て与えられる」 | ||
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バリ島には「コーリング(呼び戻し)」と呼ばれる特殊な儀式があります。 彼らによると、人は人生を生きていくうちに、自己の一部を失っていきます。 これが過剰に起きたり、あるいは何かトラウマ的な事故で急激に起きたりすると、魂の力が弱って命に関わることもあります。 それを儀式の力を使って呼び戻すのです。 人生のガラクタを整理すると、同じような「コーリング」効果があると著者は言っています。使わないものを処分すると、それに執着していたあなたの魂の一部が自分のところに戻ってくるのです。このプロセスによって、あなたは現在を生きることができるようになります。 私個人の考え方としては、そのように失われた自分を取り戻すという行為は、自分の中に埋もれてしまった自分を掘り起こすということにも近いと思います。 私たちには本当の自分というのが元々あって、生きているうちに、自分を守るために防護壁を作り、それがまるで自分の一部になってしまうことが、心のガラクタの原因だと思います。 最初に外から自分を守るために作った壁は、いつの間にか、内に自分を閉じ込める壁になっています。 いらなくなった壁は、もう捨てていいのです。 「星の王子さま」を書いたサン=テグジュペリはこんな風なことを言っています。 「人間の本当の完成とは、付け足すものがなくなった時ではなく、取り去るものがなくなった時である」 私はこの言葉が大好きで、よく使っています。 必要なものを必要なだけ、身も心もそんなシンプルライフで生きていきたいです。 いらないものがわかり始めると、本当に必要なものが見え始めてきます。 ガラクタの中に埋もれているダイヤモンドは、なくしてしまったのではなく、今は見えなくなっているだけ。 最初からあるその輝きに、どうか気づくことができますように。 (2005年10月12日) |
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「あなたは、何を探し求めていますか?」 | ||
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古代インドのスートラは、現存する最古のスピリチュアルな教えですが、この本はその現代版リバイバルとして書かれたものと言えます。 スートラとは、観念的な装飾を最小限に抑え、格言のスタイルをとった、パワフルな真実の書のことをいいます。 スピリチュアルという言葉は比較的新しい言葉ですが、その根底にある真理はいつもひとつです。 呼び方がどんなに変わっても、表されるものはいつも同じだからです。 あなたが愛のことを、ラブとかサランとか別の言葉で呼んだとしても、表しているものは同じですよね。 それを夢とか希望とか苦しみだとか自分なりの言葉で呼んだとしてもです。 この本の原書のタイトルは「Stillness Speaks(沈黙は語る)」です。 私はこのタイトルの方が、日本語のタイトルよりも気に入っています。 矛盾してるようですが、沈黙こそが最大の音だと私は思っています。 静けさの中に入っていくとき、普段は聞くことのできない音を聞くことができます。 騒がしい騒音の中では決して聞くことのできない声を聞くことができるのです。 (2010年01月11日) |
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二つの心が一つになっているときには言葉など必要ない。 | ||
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「人は互いの心が遠く離ればなれになっているときに怒鳴り合う。 そして心が調和しているときには普通に話す。 しかし、二つの心が一つになっているときには言葉など必要ない。」 私はこの本の中のこの言葉がとても好きです。 あなたにもきっと経験があるでしょう。 怒鳴り合う相手とは、心が遠く離れています。 離れてるからこそ、なんとか相手の心に届かせたいと思い、声が大きくなるのです。 反対に、心が強く結び付いている相手とは、言葉なんて全く必要がないという瞬間が訪れます。 その瞬間は二つの心が完全に一つになった瞬間です。 一緒にいるだけで、すべてが完璧だし、心地良いのです。 (2010年01月11日) |
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「君の窓がどんなに小さくたって、空はいつだって広いんだ」 | ||
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ここは、人生の意味を見失った者の来るところ。迷える心が答を求めにやってくる、人の心の中の迷宮 あなたの心は、迷宮に迷い込んでいませんか? 誰もが人生の中で、迷宮に迷い込んでしまうことがあります。 迷宮の中にいるときは、自分が迷宮の中にいることになかなか気づくことができません。 そこから抜け出すことができたときに、初めて自分が迷っていたことに気づくのです。 夢を見ている人が、夢から覚めたときに初めて、自分が眠っていたことに気づくように・・・ 「君の窓がどんなに小さくたって、空はいつだって広いんだ。」 小さな窓から空を眺めるとき、空は小さくしか見えません。 だけどそれは、空が小さいということではありません。 あなたの窓(視野)が小さいのです。 空はいつも無限に広がっています。 無限の可能性があるのに、あなたの窓を小さくしてはいませんか? 空はいつでも広がっています。 あなたの曇り空で、その青空を隠してしまわないように・・・ (2010年01月11日) |
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やくそくしましょう これからはもう やくそくがいらないように | ||
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この本にはタイトルも著者名もありません。 タイトルが「title:」で、著者名が「name:」となっています。 つまりタイトルも著者名も自分でつけていいのです。 私はこの考え方がすきです。なぜなら、どんな本も読んだ時点で、その人の心のフィルターを通して、自分だけのものになると思うからです。 この本の中には、たくさんの自由な詩が書いてあります。 あまりにも自由すぎて、ページを開くたびに、詩がそこから飛んでいってしまいそうです。 私たちは「やくそく」を欲しがります。 いつもそれが破られる不安があるからです。 人間の不安は、いろんな法律や決まりごとを作り出しました。 まるで自分たちを縛り付けることで、安心が手に入ると思っているように。 でも本当の安心とは、不自由さの中ではなく自由の中にあります。 何かの約束事を守らないと私たちは愛されないのではなく、私たちは私たちであるだけで心から愛されています。 誰かを愛するときも同じです。その人がその人であるだけで、ただ愛するのです。 だから、やくそくしましょう。 やくそくなんてしなくても、私はあなたを永遠に愛し続けると。 これが、さいごのやくそく。 (2010年01月11日) |
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「いのちは闇の中にまたたく光だ!!」 | ||
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ナウシカは闘う。どんなに相手が強大であっても闘う。 それは本当の強さを知っているから。強さの意味を知っているから。 ほとんどの頑強に見えるものの強さは、本当の強さではない。それは弱さを覆い隠すための鎧でしかない。ナウシカはどんな鎧もまとわず、そのままの自分で飛び込んで行く。弱さから目をそらしたりしない。弱さの中に本当の強さがあることを知っているから。 「苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない それは人間の一部だから…だからこそ苦界にあっても喜びやかがやきもまたあるのに」 人間の一部であるものをナウシカは抱きしめる。母のような愛を持って。 輝く星空は、昼間は決して見ることはできない。 なぜなら、星は夜輝くものだから。 苦しみも涙も人間の一部ならば、それを抱きしめて生きよう。 ナウシカは物語の最後に、誰にむかうともなく言う。 「生きねば…」 生きようでも生きたいでもなく、生きねば。 それにナウシカの気持ちがすべてこめられているように思う。 ナウシカとは、元々はギリシヤの叙事詩オデュッセイアに登場するパイアキアの王女の名前である。 神話や伝説のように、この物語もきっと長く語り継がれていくのだろう。 (2010年01月10日) |
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愛が最も気高く、最も神聖な行為である | ||
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禅の言葉に「あなたが今いるところに平安を見つけられなかったら、どこにさまよって行けば平安は見つかるのでしょう?」というものがあります。 私たちは周りが変わることばかりを望んで、自分が変わることに目を向けようとはしません。 どこかにいけば幸せになれると思っている人はきっと、どこにいっても幸せを感じることはできないでしょう。 「自分の内側や外側にあなたが見ているものを変える必要はまったくありません。あなたのものの見方を変えればよいのです。困難に直面した時、自分の意識を縮こませて、そこから逃げようとしてもムダです。いつかは、今、あなたが転がり落ちたその山に、また登らないといけないからです。」 今のままの自分で、今、目の前にあるものと正直に向かい合う。きっとそれだけでよいのだと思います。 難しいことは何もありません。難しくしているのは、いつも私たちの心だけだから。 心で作り出したものは、心で乗り越えることができます。反対に、心でしか乗り越えることはできないのです。 (2010年01月10日) |
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太陽よ!ぼくのいく道をてらしてくれ。 | ||
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ブッダは悩み苦しみます。普通の人よりもはるかに多くの苦しみを胸に抱えて。 さとりとは何でしょう?完全無敵の超人になること?いいえ、違います。 本当の意味で、すべてを知るということです。 もし、夜のない世界に生きている人がいたら、その人は暗闇がどんなものかもわかりません。夜を体験したことがないのだから。 ブッダはすべてを体験し、その中に答えを見つけようとしました。 苦しみの中に、愛を見つけようとしました。闇の中に、光を。 「きょう、恐ろしさをごまかせても、あした、また恐怖がやってくるかもしれない。むしろ恐怖に身をまかせて・・・。その中でやすらぎを見つけるのだ」 何かが怖かったら、それに背を向けずに向き合えばいい。 そしたら、それが本当は何かがわかるでしょう。 鏡に映ったあなたを見つめるとき、鏡に映ったあなたもこちらを見つめています。 さとりとは、すべてを知ること。 自分を知っていくことが、その一歩かもしれません。 自分の中に、すべての答えはあるのだから。 (2010年01月10日) |
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《幸せの流れ》につながったままでいること。 | ||
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「幸せは自分の心が決める」という言葉があります。幸せの価値はその人の心が何を感じるかで変わってくるものです。お金持ちになることが幸せだと思っている人は、それが幸せでしょうし、お金なんかより愛する人たちに囲まれて生活できることが何よりも幸せだと考えている人は、それが幸せでしょう。 もしその幸せが自分の心ではなくて、他人の心からくるものだと信じてしまうと、私たちは強い苦しみを味わってしまいます。 その人が自分に何かをしてくれないと、幸せを感じることができないからです。 そうなってしまうと、相手をいかに自分の思い通りにコントロールできるかという罠にはまってしまいます。 そのことについてふくろうのソロモンはやさしく教えてくれます。 「つまりね、サラ、君の幸せが他の誰かがやったりやらなかったりすることにかかっている時、君は罠にはまっているんだ。なぜなら、他の人々が考えることや行なうことを、君がコントロールすることはできないからさ。でもね、自分の喜びは他人にかかっているのではないということがわかったら、その時には本当に自由になれるんだ。」 自由=幸せです。なぜなら自分の幸せは自分で決められるから、幸せな自分をいつでも選ぶことができるからです。 私は私でいいんだ。私は私であるだけで100%幸せ。どんな自分であったとしても。 (2010年01月10日) |
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ことばは沈黙に、光は闇に、生は死の中にこそあるものなれ。 | ||
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アースシーのゴント島に生まれた少年ゲドは、自分に不思議な力がそなわっているのを知り、真の魔法を学ぶためローク学院に入ります。進歩は早く、得意になったゲドは、禁じられた呪文を唱えてしまい、不吉な影を解き放ってしまいます。 ゲドが呼び出してしまった恐ろしい影は、ゲドをどこまでも追いかけてきます。ゲドは逃げ続けますが、ある日、師の言葉を聞き、影と向き合うことを決意します。 「そなたを追ってきたものを、今度はそなたが追うのじゃ。そなたを追ってきた狩人はそなたが狩らねばならん。」 立ち向かう勇気とは、恐れを乗り越える力です。 人は誰でも自分自身の影と戦わなければならないときが来るのです。 ゲドが影に立ち向かったように。 そしてそれは、厳密に言えば、戦いではありません。 勝つのでも負けるのでもなく、溶け合ってひとつなるということだから。 「すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は、自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。」 ゲドが最後に影の名前を呼んだとき、すべての旅は終わりをむかえました。 あなたも、あなたの影の名前を呼んでみてください。 あなたが、あなたになれますように。 (2010年01月10日) |
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いますぐはじめられるこころのヨーガがここにあります。 | ||
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表紙に描いてある鳥かごは、扉が開いています。鳥かごとは何でしょう?鳥は誰でしょう?そして扉とは? 「私たちは鳥かごの中にいる鳥です。けれどその鳥かごは自分で作り出した幻想の鳥かごで、実際に鳥かごはないのです。」 どうして鳥かごに入っているのでしょう?どうしてそこが安全だと思ってしまったのでしょう? ヨーガの考え方が私は好きです。それはとてつもなく深遠で、そしてシンプルです。 「人生で大切なことは何でしょうか?生まれてきた意味は何でしょう? 生きること。自分自身を知ること。 ヨーガでは『who am I?』(私は誰か?)、それを理解します。 そして本当の自分を生きていきます。」 鳥かごは本当はないのに、鳥かごの中で自分は飛べないと思って生きていくのは、とてももったいないことだと思いませんか? その扉は最初から、誰に対しても開かれているのです。 安全だと思っていた場所が、実際はあなたを閉じ込めるだけの監獄だとしたら、私たちは今こそ、そこから出て、自由になるべきです。 自由に飛べる翼は、折れてしまったわけではなく、ただ眠っているだけなのだから。 (2010年01月10日) |
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なにもかもがイリュージョンなのさ! | ||
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「毛虫が世の終わりと考えるものを、救世主は蝶と名づける」 あなたが苦しみだと思っているもの、それは本当に苦しみでしょうか?あなたは蝶になろうとしてるのかもしれない。 あなたが自由という翼を羽ばたかせるとき、たくさんの反発にあうかもしれない。その人たちは「正しさ」の剣を振りかざして、あなたを刺そうとするかもしれない。だけどあなたがあなたの心に正しく向き合うとき、その翼は決して、びくともしない。 正しさとは、本当の正しさとは、自分の心の中にしかないのだから。誰かの正しさがあなたの正しさではない。あなたの正しさだけが、あなたの正しさである。 「子ども向けのファンタジーは、空想を存分に羽ばたかせながらも、作者の視点が世俗的な善悪の基準からはみだすことがないケースがほとんどです。しかし、この作品は、そうした社会通念のようなものから思いきり自由であろうとする作者の生き方そのものがファンタジーになっているのです。」訳者あとがきより 自由とは、自由の概念を飛び越えるものである。だから一見それは不自由にも見えるだろう。 そこに真実がある。自由とは、好き勝手にやることではなく、自分の人生に責任を持つということだから。 世界のすべてがイリュージョンだとしたら、あなたの真実はどこにある? (2010年01月10日) |
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幸福の秘密は、君の特別なギフトを使うこと。 | ||
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真の力を求めて、賢者探しに出た孤児ハキム。師に出会った少年は何を得たのか?少年の成長と魂の夜明けを告げる物語。 少年が求めたのは幸せになる力。この世のどこかにあるというその力を求めて、そして師を探して少年は旅に出ます。 そしていろんな人に出会い、いくつものヒントを得ていきます。 「心に聞いてごらん、そうしたら何をするべきかわかる。君が何をするのかは、君が何者なのかによるのさ」 少年が見つけたものは何でしょう? そこに何があったのでしょう? 人は誰でも旅に出ます。 本当の自分になりにいくために。 「さあ、友よ、今回の旅は終わったけれど、別の旅が始まるぞ」 さあ、行こう。 (2010年01月10日) |
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