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平山書店のレビュー |
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掲載レビュー全609件 |
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日下公人氏の未来予測本である。本書は、主に経済分野での予測と、外交に関する提言からなっている。その中で少し目に付いたものをご紹介してみる。現在進行中の日本の行政改革は、公務員制度改革に代表されるように、日本人が本来もっている道徳観や合理精神に反する慣例を打破しようとするもので、国民の期待は理非曲直を正すところにあると語る。そして、1837年〜1901年イギリスがビクトリア朝の64年間に、世界の海を制する大帝国に発展した事例を挙げている。この間の同国の経済成長率は高々年間1〜2%にすぎなかったというから意外な気がする。しかし、この低成長の期間だからこそ、安定し持続した発展が得られたのだと、日本もこれに学ぶべきであると著者は語る。急激な成長には、そのから生まれた貧富の差から、不安定な政治状況が出現するのはドイツやアメリカなどの例が実証しているのだ。(のり) (2008年02月24日) | ||
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味のあるエッセイが素敵な阿川佐和子さんの作品。題名のとおり、著者の怠け者ぶりがユーモアたっぷりに綴られている。庶民的な話題の中にも、そこはかとなく上品さが感じられ、それがまさに自然体なのがよい。鼻につくところが皆無で、育ちのよいお嬢様的な印象に惹かれる読者も多いだろうと想像される。それが著者のエッセイの特徴だ。醒めた目で見れば、とてもたわいの無いことの列挙にしか見えないのだが、読み進むうちに読者は共感し夢中になってゆくのである。このような著者の生き様を見て思い起こすのは、論語の一節にある「仁を好む者には、以って之に尚うる無し」という言葉だ。これは、人間として生きる喜びを持つ者、これは最高であって非の打ちどころが無い、という意味である。結局エッセイには話題性だけでなく、著者の人間性が豊かであるかどうかが良し悪しの決め手になることからすれば、著者の一連の作品は名作の名に恥じないものといえるだろう。これらの好意的な評の裏には、読書子が単に著者のファンということもあるのだが。P.S. アガワさん、週刊文春の対談、いつも楽しみに読んでいます。 (のり) (2008年02月17日) | ||
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本書を書店で実際に手にとってみられた読者ならおわかりのように、かけられたオビにある言葉「奇跡の傑作『悪童日記』著者の最新刊」が目を惹く。これは、著者にとって処女作でもあり、母国語ではないフランス語を用いて生まれた傑作への賞賛と、これをを超える作品がいまだ書けていないという著者の述懐が含まれているものと思われる。著者の母国のハンガリーは、少数民族を含め国民のほとんどがハンガリー語を話し、文化的にも優れた人物を排出している国であり、ハンガリー語が文学表現上劣る言語ということは考えられないため、そこに著者の作品に対する信念を感じ取るべきであろう。最初の作品には作家の思想が色濃く反映されているとよく言われるが、本書よりもその奇跡の処女作の方に興味が惹かれる。本書が書かれた背景的なものを参考までに紹介した。(のり) (2008年02月17日) | ||
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全国初の「遺品整理」専門会社で手広く事業を展開し、様々な現場に立ち会ってきた吉田太一氏の著作である。何ヶ月も放置された死体の凄惨さにまず度肝を抜かれる。床に残った体の跡、ゴミ袋半分ほどの蛆虫、黒壁にしか見えないゴキブリの群れ。だが本当に著者の言いたかったことは別のところにある。依頼してきた遺族と故人との間の人間模様に着目して欲しい。自分の親なのにすべて他人まかせ、一回も立ち会うことはしない依頼者がいれば、会ったことも無い遠い親族だけど、丁寧にあとしまつをつけ、成仏を祈る依頼者もいる。人間関係の希薄化は切実な問題だけれども、明暗交えた本書のエピソードから何かを感じ取ってもらえたら幸いである。(のり) (2008年02月17日) | ||
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記念すべき第1作『ボーン・コレクター』で刑事リンカーン・ライムシリーズの幕開けを飾った、ジェフリー・ディーヴァー氏の作品である。著者の作品は、文藝春秋社の独壇場となっていて、これまでにも史上最高の短編集との呼び声が高い『クリスマス・プレゼント』ほか、文庫及び単行本でほとんどの作品が邦訳出版されている。本書は、どんでん返しの妙を得意とする著者の作風がいかんなく発揮された作品であって、途中にいくつか”小どんでん返し”を交えているのが特徴。この仕掛けは、読み手の興味を惹きつけると同時に、なにかあるぞ、と、いやおうなく文章を読む姿勢に気合が入る。だが、その読者の予想を上回る結末を用意しているのが、このジェフリー・ディーヴァー氏なのである。いい意味で裏切られた愉しさを存分に堪能できる1冊である。(のり) (2008年02月12日) | ||
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本書は著者の曽野綾子さんがかつて日本財団の会長を勤めていた時期に書いた挨拶文と、政府の諮問会議等に提出した意見書からなる文章が収められている。例えば教育面では、親、社会や教師が子どもに嫌われるのを恐れるあまり、子どもの身勝手に迎合してきたその結果が、現在の教育危機を招いていると鋭く分析する。人間はもともとすべて不平等だという観点から、快適とその陰にある不自由、この両者を受け止めてこそ、不幸には耐える豊かな人間性が育つとのご意見は、眼を開かれる思いがする一節である。作家としての語り口は、率直、大胆、そして教え諭すような慈愛に満ちたものだ。読者が感銘を受けるであろうこの1冊(のり) (2008年02月12日) | ||
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人生も後半にさしかかったころ、ふと30年も昔に夢中になった書を手にとったが、まったく面白くなくひどく落胆することがある。そんなとき、年齢を増して感受性が失われたのではなく、自分が成長したものと思いなさい。本書の著者はそのように述べている。このように本には一度読んだらもう捨ててもよいものがある反面、人生を通じて心を豊かにしてくれる良書というものも確かに存在する。この読書ガイドブックは、仕事から解放され第二の人生を歩もうとする方々に贈る知的生活のアドバイスが散りばめられている。各書の裏話、時代背景、エピソードなど読んでいるだけでも楽しく、また紹介されている数々の書にぶつかってみたいという欲求が湧き上がってくるのを、抑えきれない気持ちにさせられる。これから定年を迎えてゆく団塊の世代の皆さんにとっては、本書により後半の人生が豊かになることは間違いない。確実にお奨めできる1冊。(のり) (2008年02月12日) | ||
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海軍、英国、昭和天皇がキーワードの本書は、著者がこれらのことに多大な影響を受けたことを物語っている。題名の『大人の見識』、昭和天皇ははっきりそれを持っておられたと著者は言う。先帝陛下の帝王の見識は英国抜きでは語れない。そして帝国海軍は英国の影響下で世界に比肩する力をつけ、日英同盟破棄後、その影響下から離れて崩壊していった。国と国とが鎬を削り、わが国が滅亡の瀬戸際まで追い込まれた厳しい時代を生き抜いた経験者の言は、重みのある言葉となって現代の読者の胸にこだまする。われわれは軽躁を慎み、日本人の矜持というものを、今一度振り返ってみる必要があるのではないだろうか。 (のり) (2008年02月12日) | ||
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国内では数少ない暗黒小説の書き手として世間の注目を浴びている馳星周氏の作品である。題名の『ブルー・ローズ』=青い薔薇、とは、青色の薔薇が存在しないことから、英語圏で「ありえないこと」のたとえとして使われる俗語このとである。バブル期に土地に手を出して失敗し、多額の借金を抱えて家庭も仕事も失った元刑事警察官の主人公。元上司から失踪した娘の行方を探して欲しいと依頼されるところから、この物語は始まる。手がかりを追ううち次第に明らかになってゆく娘と仲間の主婦たちの秘密のアルバイト。この上巻は著者お得意の暴力シーンは抑えめで、本格探偵小説を思わせる落ち着いた筆致で物語が展開する。警察キャリアの腐敗、刑事警察と公安警察の確執など、これら波乱の種がどう蒔かれて芽生えてゆくのか。また、題名のブルー・ローズという言葉も、読者になにかとんでもない展開を予感させ、期待感に満ちた1冊である。なお、本書は2004年から翌年にかけて「東京スポーツ」紙に連載されたものの単行本化である。 (のり) (2008年02月10日) | ||
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失踪した娘を確保し、役者がすべて出揃ったこの下巻。前半部とはうって変わって、まさに馳ワールドの本領発揮。一目ぼれした女性を殺されたことをきっかけに、公安警察への憎悪が限界を超え、暴力と破壊の衝動が主人公の暗い憎念を呼び覚ます。果てしなく繰り返される公安との攻防、物語が煮詰まるにつれ、人質を確保してから殺すまでの時間がだんだんと短くなってゆく。この構成はさすが著者だとうならせられる。主人公とともに、興奮の頂点を極めてみていだだきたい。 (のり) (2008年02月10日) | ||
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「ケセランパサラン」。江戸時代以降の民間伝承上の謎の生物とされる物体で、外観は、タンポポの綿毛や兎の尻尾のようなフワフワした白い毛玉とされる。持ち主に幸運を呼んだりすると言われており、1970年代後半に、ケサランパサランは全国的なブームとなった。本書の登場人物は、この物体のごとくふらふらと毎日を生きている。しかし、時には現実と向き合わなければならないときもある。平穏な毎日の中にも人どうしのつながりのなかで、ふと立ち止まる瞬間を見事にとらえた作品である。結論は出せないかもしれない。でも、前に進まざるを得ない。人生とはそんなものかもしれないと思わせる1冊。(のり) (2008年02月08日) | ||
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平成15(2003)年、「キッドナッパーズ」で第四十二回オール讀物推理小説新人賞を受賞して頭角を表わした、門井慶喜氏の鮮烈なデビュー作である。美術ミステリといえば、作品の真贋、そして作品そのものに対する謎解きが焦点となるジャンルであるが、本書はその両方を備えている。美術品は眼で見て鑑賞するものであるだけに、文章で表現するとなると相当な知識と力量を必要とする。その意味で、ごまかしのない描写態度から感じるに、著者の美術に関する素養は並大抵のものではないと推察されよう。そして魅力的な登場人物。人のよい好青年の美術講師佐々木と、天才的な美術センスの持ち主神永の名コンビが、阿吽の呼吸で困難な依頼を解決してゆく活躍ぶりはまさに痛快。刎頚の友とはこのような関係かと思い入る。美術品は人をとりこにする魅力を持っている。その理由の一端を本書で感じとっていただけたら、著者の狙いは半ば達成されたも同然といえよう。(のり) (2008年02月07日) | ||
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中年世代ための悲哀小説の書き手として、読者から絶大な支持を受けている著者の荻原浩氏。今回はこれまでとは趣を異にした、17歳の男子高校生を主人公とした青春小説を手がけた。「最近、自分の子どもたちや同世代の友人なんかを見ていると、やっぱりみんなもがいているんですよね・・・結局いくつになっても、『自分は一体何者なのか』という問いからは逃れられないんじゃないか」と思ったことが執筆のきっかけとなったという。本作は、思考も行動も子どもの視点で描かれている。著者が子どものころの衝動を思い出しながら、ワタルという一個の人格を大事に見守って物語を綴ったように、われわれも過去に思いを馳せることで自身のアイデンティティを見つめなおすきっかけとなる1冊である。 (のり) (2008年02月07日) | ||
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16歳の処女作『糠星』から、最新作『折り紙のように』まで、著者34年の文筆活動の節目となる作品を選びぬいた6篇の短編集である。ふつう、順番が逆なのだが、本書ではまずあとがきに目を通し、著者自身の節目となった出来事とその作品を頭に入れてから読み始めるのがよいようである。また、盛田氏の著作は初めてだ、という読者の方は、他の作品(例えば恋愛小説三部作)を先にお読みになったほうがよいだろう。物語を綴る作家自身にもドラマがある。著者と作品の成立した背景を共有することが、これほど愉しいものであることを感じずにはいられない1冊だった。(のり) (2008年02月03日) | ||
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著者自ら「作家生活14年の中で一番の手応え」と語る作品。主人公の木崎は先物取引で失敗し、仕事も家庭も失ってホームレスの身分に転落する。そんな中、ある男から偽装結婚の話を持ちかけられ、高額の報酬に木崎はのる。相手の女性はモンゴル人のダウ、24歳。強く日本に行くことを願うダウの話を聞くうちに、木崎は偽装結婚と承知しながら彼女に惹かれる気持ちが増してゆく。ところが、マフィアの抗争に巻き込まれてから状況は一変。ウラジオストクまでの逃亡劇が展開される。飛び交う銃弾をくぐりぬけてゆく内、お互い心に傷をもつ身ということを知る。そんな二人だからこそ通じ合う瞬間が美しい愛情へと昇華してゆく・・・。明日をも知れぬ生死の狭間で育まれるノンストップラブストーリーはさすがに読ませる。著者がエンターテイメントへシフトしてから最高の1冊。 (2008年02月03日) | ||
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ありふれた日常の裏で、主婦が抱える苦悩と希望を描いた家庭小説。夫にとって、仕事を仕上げた後の”仕事帰りの一杯”がことさら旨く感じるように、主婦も『おいしい水』を求めているというのがテーマ。子育て、家事、夫の世話、主婦の生活は毎日判で押したように同じことの繰り返しである。夫が仕事で得られる充実感や達成感が主婦にはない。この作品に登場する5人の主婦は、おいしい水を求めて迷走する。丹念な取材に基づく主婦達の心理描写がリアルに迫る。著者の盛田隆二は、細部の描写まで手を抜かない。人が普段胸に秘めている陰の部分までも明らかにしていく。そのため盛田氏の作品は、傍観者のまま読み進めることを許さない。当事者の痛みの伝わり方が直接的でビンビン響き、気を抜いたら圧倒されそうだ。そんな危うい鋭さが盛田氏にはある。(のり) (2008年02月03日) | ||
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1997年6月28日、神戸の〈少年A〉が逮捕された日を中心に、その前後二週間の日本の高校生と、その親の群像を描いた作品。高校生たちのブルセラ、クスリ、家庭内暴力など、センセーショナルな内容を多く含み、発売当初から賛否両論の問題作として話題となった1冊。当時の書評、「売春、いじめ、麻薬、家庭内暴力などを女子高生の視点から生々しく描き、子供の行動に対処できない親たちの心の迷走をあぶりだした小説だ。背景は神戸での児童連続殺傷事件。崩壊しつつある日本人の心と社会を写し取っており、読後の衝撃が大きい問題作」(時事通信) にあるように、子ども世代への親からのメッセージと読むのが、著者の意図であるのだろう。いずれ、本作は読むのにかなり体力と精神力を必要とする。これから手にとってみようとする読者は心してかかられたし。(のり) (2008年02月03日) | ||
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著者いわく”恋愛小説三部作”の、ラストを飾る作品。3冊の中では一番の長編で、延々と綴られる二人の逃亡生活の様子が生々しい。人妻の造形は、彼女が大学生に自らの過去を語る数少ないシーンに象徴されているように、あくまで大学生の視点から構成されている。人生経験の浅い学生にとっては、年上の女性はあこがれの対象であり、さらに若者と人妻との駆け落ちという普遍的なテーマが加われば、これはもう男性読者が感情移入するのはたやすい。それは相手が同性からみて、さほど魅力的ではないと思える女性でもそうである。その意味で、この小説は男がもっている潜在的な願望の投影図ともいえ、 恋のため人生をスクラップする”破滅の美学”的な要素が男心をくすぐるのである。本書は、これまで純文学作家とみられてきた著者が、エンターテイメントの方向へシフトした最初の作品で、30万部を超えるベストセラーとなった。古くは”伊勢物語”の白玉の章にみられるように、愛の逃避行は何時の時代も人びとの心を燃やし、苦しめるのである。(のり) (2008年01月31日) | ||
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盛田隆二氏の”恋愛小説三部作”2作目を飾る作品。本書は1993年新潮社より刊行されたものの文庫化である。だがこの作品は1985年に「早稲田文学」新人賞に入選した「夜よりも長い夢」と続いて同誌に発表した「1973年の新宿と犬の首輪」が元になったもので、事実上著者の処女作なのである。そのことから本作は著者の”私”が色濃く反映されているとみて間違いない。1993年刊行のあとがきで、小説には”私”を出さないことを公言した著者であるから、その意味で貴重な作品であることは言うを待たない。「純文学作家としての著者の感性の源をさぐる鍵となる作品であり、生の彷徨というテーマの発端をみることのできる1冊である(のり) (2008年01月31日) | ||
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この作品は1992年中央公論社(当時)から刊行され、この年の三島由紀夫賞候補作となった。盛田隆二”恋愛小説三部作”の最初を飾る作品にふさわしく、無国籍都市東京を舞台に、雑多な民族の群像劇をあざやかに描いている。「サウダージ」という言葉はポルトガル語で、わが国では郷愁とか懐かしさと訳されているが、本書では失ったものを懐かしむ感情と解釈されている。この言葉の意味はアフリカから南米へ連れて来られた黒人たちが、大西洋を隔てたはるか遠くの故郷へ思いを致すところから来ており、なんとも哀しい言葉である。日本人の父とインド人の母の間に生まれた主人公の裕一は、15年前に母と生き別れになって東京で暮らしている。裕一と様々な国の人々とのかかわりを通じ、居場所を求めてさまよう人間の姿を浮き彫りにしていく。著者がこの作品を執筆したのはバブル景気最終年の1990年。好景気に浮かれまくる世間を背に、やるせない現実に目を向けていた事実は、やはり畢生のリアリスト作家の片鱗を感じさせるものがあって、その著者の執筆姿勢に頼もしさと同時に好感を持った1冊である。。(のり) (2008年01月31日) | ||
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